20210725_日報
私は今年の4月に福岡から出てきて,東京の広告代理店に就職した新卒です。
”東京の広告代理店”という言葉から連想されるような某大手や某大手ではないですが,概ね活気があって良い職場だと思います。
今はまだOJTの身で,毎月色々な部署を移動させてもらえて,楽しさ半分苦しさ半分で暮らしています。
その中で,私は当初考えていた自分の働き方ではうまくいかないと気づきました。
私はもともと,広告代理店に就職したかったわけではなく,もっと別の職種に就く予定でした。しかし,その職に就く前に絶対社会経験が必要だと思ったことや,奨学金がその職では恐らく返せないこと,東京に出たいことなどが重なり,なんやかんやで今の会社に就職したのでした。
いずれは転職して,元々目指した職に社会経験十分で就くために,今の会社では主に営業を頑張りたいと思っていました。
しかし残念。いざOJTをやってみると,新規営業の荷電が思った以上に辛い。昔バイトでそういうのをやっていて,ある程度耐性はあるものと思っていたのですが,まぁこれが全くありませんでした。
1日6時間週5となるとバイトとは違いますよね。そんなことにも考えが及ばない辺り,私は本当に社会ナメたガキです。
1か月で別の部署に変わったてき心の病になることも,会社を辞めることもなかったですが,しかしなかなか移動した部署も良くなかった。
良くなかったというか,良すぎました。
そこは制作を担当する部署で,要はデザインとか広告文を考える仕事。おまけに体育会系のパワー系の人種の営業と違って,元気な文科系の方々。過ごしやすすぎて驚きました。
さらに私の心をゆすぶったのは,子供の頃はデザイナー職に就きたかったこと。特別絵が上手いでもなく,オタク性・マニア性,そういうのも当時自分にはないと思っていたため諦めたその職が,目の前にチャンスとして転がっている。
ずっとデザイナー職を目指してきた人にはきっと,怒られるだろうと思います。それに,仮にそのデザイン的な職に就いたとして,元々の職に戻る意志はどうするん?って感じ。
意思が弱いにもほどがあるし,こういう人間は理想ばっかりあって何もできないですよねと思っていました。
だから,もう一度営業に戻ることを考えていました。私は元来心地いい場所にいると,だんだん頭の中をその心地良い場所が奪われることが侵食して辛くなる性分があり,それもあり早く辛くなりたいと思ってしまった。
その次の月は営業に戻りました。とてもつらかった…
戻ったら戻ったで,結局辛いのでした。チャンスの神様は少なくとも1か月かけて私の目の前を牛歩で歩いていたのに,つかみ損ねたのだなぁと思いました。
そう思っているうちに営業での1月が過ぎ,今度はもっと別な部署に行きました。その部署はどの部署よりも緩かった…
私はその緩さにあらがおうとしましたが,元来他者に合わせる能力ばっかりたけているため,やっぱりどうしても流された。
こうして会社にも自分の気持ちにも流され,私はすっかり自分の能動性について自信を無くしました。もとからあったわけでもないのですが。
しかしその中で,1つ大きなことを学びました。
それは,本当の能動性とは,1人でも計画を動かせるくらい用意周到にかつアクティブに動くことである。
会社に所属している以上,必ずだれかと協力して物事を進めますが,しかし一方で一緒にする人が必ずしもその人の範囲以上のことをしてくれるとは限りません。してくれたら奇跡と思った方がいい。最低限の仕事をしてくれたら万々歳である。
だから,ホウレンソウは必ずしつつ,自分で企画し自分で計画のコマを進めていかなければいけないと思います。
子どもの頃の夢とか,もともと就きたかった職とか関係なく,今の私の課題はそれなのだと思います。
これはきっとチャンスなのです。元々就きたかった職だって,なんとなく所属してなりたつものではありません。ゆくゆくはフリーランスにでもならなければ生活は成り立たない。
これに気づいた時点で,多分チャンスの神様の前髪をつかんだのだと思います。しかし前髪をつかんだ程度で捕まる神様じゃない。チャンスの神様は多分前髪をつかまれても結構な速さで走り続ける。それになんとか食らいついていきたい。
私は本当に抽象的な話ばかりで大志ばかりでかい人間だが,なんとかこの社会で強く生き抜いていきたい。