自分探し下手すぎて草
私は幼稚園の頃から生きづらさを感じているような根っからの鬱人間だ。
ずっと今いる環境が嫌で,早く次に行きたい,早く別のことをやりたいと思って生きてきた。
歳を重ねる中で,自分がどうすれば生きやすくなるのか,自分が心からのびのびと生きられるには何が必要かを少しずつ知っていった。
心理学を専攻し,大学院まで行って理論や事例からもそれを学んだ。
しかし成長するにつれ世の中に求められる(と私が勝手に考えている)ことは,私が私を知るよりもずっと早いスピードで増えていく。
私が鬱になるくらい生きづらいのは,いつもいつも根拠のない理想を追っていて,その理想とのギャップに苦しんでいるからだ。
この生き方が色々と間違っているのは高校生の頃にはもう気づいていた。しかし高校生の不器用さでは生き方の修正なんてできないし,体力も真面目さも人一倍あったから変わらず生きてしまった。
そうして私はニンジンを頭からぶら下げたような状態で,ずっと落ち着きたい安心したいと言いながら右往左往して暮らしている。
最近ようやく歳をとったからなのか,疲れがたまったからなのか,思考が鈍って理想の自分が見えなくなってきた。
そして「今ここ」の自分の快・不快が分かるようになってきた。
どうやら私は他人と会話することがかなり嫌いらしい。特に自分の興味のない会話はしたくない。誰も傷つかない下ネタはいいが,浮気してるとか,○○さんとヤリたいとか,そういうのは嫌いだ。というか基本的に悪口が嫌いだ。
さらに私は人前で何かすることが嫌いだ。知らない人なら1対1で話すのも相当嫌いだ。あと人が大勢いるところにいるのも嫌いだ。1人でいるか,心を許した人とのんびり過ごす事だけが好き。
私が最も好きなのは,この世の中の役に立たない物を生み出すことだ。
自分のルールだけを適用して書いた詩や,自分が書きたいと思った時に描いた絵だけが私の快と繋がっている。
みんなそうだと言われればそうだと思う。
でも私は本来,他人よりずっとそれが強かったんだと思う。
そんなことも気づかずに,心理職だの営業職だのに手を出して,私は本当にとんだ大バカ者だった。
ここから何ができるのだろうとずっと考えている。
今の会社に,3年いられたらいいなぁとだけ,漠然と思っている。こうしているうちに,また理想の自分に視界を乱されてしまうのだろう。