【連載】あなたはなぜピルコンに?#3
ピルコンで2年前からフェローをしているてっちゃんです。私は現在、国立感染症研究所で働いており、実地疫学専門家養成コースに在籍しています…なかなか私の普段の仕事をイメージできる人はいないと思うので簡単に説明させてもらうと、普段は日本全国(時に全世界のメディア等)から報告される感染症患者の情報から、異常な数の患者が報告されていないかを注意深く監視し、異常を察知した時には現場へ急行し感染拡大を防ぐために原因究明をしたり、今後の発生を予防する為に広く国民へメッセージを発信する役割を担っています。最近のピルコンに関連する話題としては「梅毒の患者が急増中!」といったメッセージを流していると理解してもらえばイメージしやすいでしょうか。
単なる好奇心がピルコンの活動のきっかけに
そんな私が何故ピルコンに関わっているのかを辿ってみると、10年以上前の高校生時代にまで遡ります。最初のきっかけは単なるウイルスや微生物への興味からはじまりました。高校生の時に理数科という3年間理数系科目を中心に学ぶクラスにいたので、高校2年生の1年間何かしらの研究をしなくてはならず、ちょうどその時にコロナ禍のようなウイルスのパンデミックが発生する映画に触発され、校庭の土から新種の抗生物質を発見するという研究に没頭しました。結局DNA解析までして新種は見つけることができたのですが、命名するには莫大な特許料がかかるということを知り、大人の階段を登り始めました。
好奇心は社会との繋がりへ
もっと感染症を知りたいという思いから医療系の大学に進学し、長期休みの度に感染症の現場を直接見たいと思い、東南アジアでバックパッカー、ボランティアをしたり、難民キャンプを訪問したりするようになりました。今でも鮮明に記憶に焼き付いているのは、ミャンマーのエイズ孤児施設を訪問した時の事です。それまでは感染症は医療で解決できると単純に考えていたのですが、エイズの現状を目の当たりにしたことで、特にエイズといった感染症に対峙するには医療面からのアプローチのみでは事足らず、社会学や文化人類学といった包括的な対策の必要性を痛感し、徐々に関心が感染症と社会との繋がりに向くようになりました。
なにか自分にできること・・・コンドームピンク参上
日本に帰国後、今の自分にできることはないかと考えた時に思いついたのが性教育でした。途上国と先進国である日本とではエイズを取り巻く環境は異なる点もありますが、性感染症という性質上、差別や偏見の被害にあうことが多いという点は共通していました。そして医療系大学生という、大人と中高生の中間であり、市民と医療従事者の中間でもある中途半端な存在こそ、その架け橋になれるのではないかと考え、中学校や高校でコンドームの着ぐるみを着ながら装着法を教えたり、路上でコンドームを配布したりしました。
コンドームピンク海を渡る
医療系学生は卒業後数年間は臨床経験を得ることで専門性を磨くのが通例ですが、私は1歩目を病院や研究所ではなく、地域で住民と関わりたいとの思いから、JICA青年海外協力隊の感染症・エイズ対策隊員として、中米ホンジュラスの思春期クリニックに2年間派遣されました。活動のメインは性教育で、県内の小、中、高、大学の生徒や先生、保健所の医療従事者に対して、主に性感染症やコンドームの装着法を教える出張授業を行いました。ホンジュラスには養護教諭はいなかったので理科の先生に性教育の研修を受けてもらうことで、帰国後も性教育を継続してもらうように工夫したりしました。
発展途上なのはどちらか
途上国での性教育に携わったことで一番学んだことは、母国日本の性教育がいかに発展途上かということです。日本の教材は参考になるようなものが全くなく(当時ピルコンが作ってたコンドーム付き恋みくじはスペイン語に訳して使おうか迷いましたが)、自国がこの有様でよく国際協力を謳えたものだとすら感じました。ホンジュラスは確かに宗教上中絶が禁止されていたり、日本とは文化も異なるので一概に比較はできませんが、避妊法の多様さやそのアクセスの良さは勉強になるばかりでした。
帰国直後からピルコンに関わっており、これまでの経験や専門性を活かして男性ならではのメール相談に対応しています。また、時間的な制約から性教育を実施するのは難しくなってしまったので、他のフェローが性感染症の知識をアップデートするのに貢献することで、間接的にでも日本の性教育に関して一石を投じ続けるつもりです。
この記事を書いた人:てっちゃん
国立感染症研究所勤務。普段は感染症発生状況等を監視し、国民へ還元したり、緊急時には現場での対応をサポートしている。ピルコンでは経験や専門性を活かしてのメール相談や、他のフェローのサポートに貢献することで、日本の性教育を変えたいと野心を燃やす。