「お前はリアルでも引きこもりなのに、ネットでも引きこもるのか。」

ぼくはうつ病で引きこもり無職として、20代の数年間を過ごしました。当時、暇だったので、blogを書いていました。その中で知り合った人の中には、もう廃刊になったとあるマイナー雑誌の編集長さんがいました。

その人はちょっと拗れているけれど、頭の良い面白い人でした。今のSHOWROOMの走りのようなことをしようとして、1年2年頑張られていたけれど軌道に乗らず。その後の彼は、ぼくにご飯を奢ってくれと言った連絡をしてきたぐらいで、記憶にありません。

年上の人、尊敬していた人にお金を貸してくれだとか、(冗談だとか、奢り奢られの中での言葉ではなく)ご飯を奢れだとか言われるとぼくはちょっと悲しくなるんですよね。ぼくより少し年下の知人経営者は、ある業界ではカリスマ的な元雑誌編集長のタニマチ的な存在みたいだし(なんとなく)、人それぞれなんだとは思います。でも、ぼくはお金に余裕があってもなくっても、ちょっと悲しくなるんです。

話を戻すと、その頭の良い面白い人。正確には文才があり、物の見方にキレがあって頭が良い。だけれども、商才がない。そんな感じの人でした。ぼくはうつ病で引きこもりだったから接点はネット上だけでしたが、彼が大好きでした。

引きこもりを経て、社会復帰したばかりのある日。ぼくのblogが会社にバレて、削除しなければならなくなるという事件が起こりました。落ち込んだり色々ありましたが、その後、mixi(snsの走り)に、日記を書く場所を移すことになります。

招待制のSNS。友達しか閲覧できない日記。

その頭の良い面白い人、当時雑誌の編集長だった彼からこんな言葉を言われます。

「お前はリアルでも引きこもりなのに、ネットでも引きこもるのか。」

今も忘れられないぐらい、キツい一言でした。

最近だとclubhouseみたいなSNSであったり、facebookの投稿設定であったり、オンラインサロン(今は休止しているけれど)であったり、有料noteであったり、なにがしら"壁(敷居)"を設けるか考えるとき。いつも彼の言葉を思い出します。

あの当時、2ちゃんねるに叩かれるのは自殺する人もいたぐらい精神的にダメージのあることでした。それでも、ネットでも引きこもるのかとぼくに迫った彼はオープンな場で彼自身を曝け出し、彼自身の考えを発信していました。結構、彼は叩かれていたし、個人情報も晒されていたけれど。

目的や戦略があって、"壁(敷居)"を設けるか。ただ勇気がなくて、でも自分の意見を発信したくて(ネット上の引きこもりとして)"壁(敷居)"を設けるか。

当時の記憶を反芻しながら、自分で自分に質問するようにしています。もう名前も思い出せない、今は冴えないオッサンになってしまったかもしれない彼がキレッキレだった頃。ぼくに投げつけた強烈な言葉が、今もぼくの判断基準になっています。

「お前はリアルでも引きこもりなのに、ネットでも引きこもるのか。」

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