生活で性格は変わる(変わってしまう) 前編
「生活で性格が変わっちまうことはよくある」と好きなアーティストが歌っているのですが、それは至言です。広告代理店で働く人はいかにも広告代理店で働いている雰囲気であり、そういう性格です。商社マンもそうです。それに馴染めない人はストレスで苦しみ、やがて辞めるや病むかどうにかなってしまうはずです。それは自然の法則、原理なのです。
生活で性格が変わっちまうことはよくある、それよりも今のオマエの計画は
順調か、ならば完成を急げ、そのままそれぞれが選ぶ道の完全を競え
(あの夜だけが/Tha Blue Herb)
「自分の性格が好き?」と誰かに聞かれて、君はどう答えますか。嫌いだと言いたくはないけれど、好きとも思えない。そんな人が大半なのかもしれません。誰に対してでもない、たった一人、自分との対話だったらどうでしょう。
性格か生活か
例えば、怒りっぽい自分の性格が嫌な人が、駐車違反を取り締まる仕事に就くとします。狭い道路でもお構いなしに、路上駐車している人がいます。違反の切符を切っていたら、自動車の持ち主が怒鳴りながら逆ギレしてきたりもします。感謝の言葉を言われることは皆無です。どちらかと言えば、迷惑がられたり、疎まれる仕事です。
彼は非常識なルールを守らず路上駐車している人たちに、腹を立てるでしょう。ペアになっている同僚にもイライラします。怒りの感情を家族だったり、誰かにぶつけてしまいます。彼は彼の性格が嫌になって、もっと良い人間になりたいと考えるかもしれません。それでも、彼の仕事は続きます。彼に怒りから解放される日は来るのでしょうか。私にはとても困難な険しい道のりに思えます。生活を変えずに性格を変えるなんて、不可能だからです。
「そんな仕事、辞めたらいいのに」
結論はシンプルです。職業に貴賎はないかもしれませんが、人には向き不向きがあります。道徳や倫理の話をしているのではなく、「自分がどう快適に生きていくか」「社会でうまく機能するのか(他人に役立つのか)」という話なのです。ポジショニング戦略として、彼が間違った選択をしていることは明白です。彼には向いていなくても、他人の感情を受け流せるクールな、淡々と仕事をこなせる人には向いているかもしれません。
でも、彼には向いていないのです。彼は彼を傷つけ、周りを傷つけ、自然の摂理に反した停滞を生み出しています。誰もが不幸になる選択を、恒常性(現状維持メカニズム)によってし続けてしまっているのです。
生活を変えることの方が簡単
確かに仕事を辞めたことのない人にとって、転職はとても勇気のいることです。初めてのことは私たちにとってハードルが高く、時にとても恐ろしい魔物のように見えたりもします。
ですが、生活の重要な要素である仕事がまったく合っていないのに耐え続けるのは、消耗戦です。冒頭の至言のように、生活で性格は変わる訳ですから、ある程度であれば、適応していきます。ただ、自分が壊されるような感覚が続くのであれば、それは本当に壊されてしまう予兆です。自分が壊れてしまう前に、生活を変えてしまうことを私はお薦めします。生活で性格は変わってしまうのです。壊れる感覚がなかったとしても、自分の中にある可能性の芽が枯れ果ててしまうでしょう。居心地の良くないところに止まり続けるとは、そういうことです。
自分を信じるなら、勇気を出すべきです。それが、痛みを伴う可能性があったとしても、大変なことだということを理解した上でも、それでもです。