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日本に帰国してからの虚無だった話。

読みに来てくださり、ああありがとうございまぁぁぁaaす。

こちら、やっとしばらくは日本で動いていくことを決意して動き始めている五百川将です。☜難解の極み翁である我が本名...今までの我が脳内統計上完璧に読めた人は、1人か、2人。漢字自体は、個々でみたらものすごく簡単なんですけどね。高校時代なんて、自分の座っている列が順番に先生にあてられて、いよいよ自分の番と思ったら、後ろの生徒があてられて「え?」と時空の歪みに入ってたんかなっていう経験もある。先生もフリガナつけんと読めんらしいぞ~。キラキラネームではないと思う。ね?そうだよね?ところでそろそろ答え発表するよ?


いおかわたすく、イオカワタスク、Tasuku Iokawa 

はい、読めましたか?読めなかった方はフォローお願いしますね?(脅し笑)


そんなこんなで、今日は最近考えていることを書いていこうと思います。青年海外協力隊としてブータンで忙しくしていると想像していたのに3月に帰国してからしばらくはいまいち行動する気も起きずにダラダラしていた時期がありました。なんでだろ?本当に虚無になるんです。朝起きて気づいたら夕方になっていることが多く1日無駄にしたなと思いつつも次の日には、また同じことを繰り返しているという日々。そんな日々を過ごしつつも、ブータンの同僚と連絡したり、流行りのオンライン交流会を楽しんだりしてたのですが、何か心の中にプチブラックホールが存在していて自らのやる気が吸い取られていくんです。パソコンで調べものするぞと思ってもYoutubeやAmazon Primeで動画を見てしまう。読書するぞと思っても気づいたら寝ている。いよいよやばいと思い運動を始めてみたり、生活習慣を見直してみるが続かない。

なんで、こんなにだらけてしまんだとブラックホールと戦いながら頑張って真剣に考えてみたんですよ。そしたら意外と私の中では盲点だったんですけど、「社会」との繋がりが全くない生活をしていたんですよね。基本的に家に引きこもり(コロナってのもあった)で急ぎの仕事があるわけでもなく、責任のある行動をしなくても迷惑をかける人がいなかったんです。このシチュエーションは、生活上中々存在しえないレアケースだと思ったんですよね。だって、基本は生活していると対話する相手がいて責任もって行動しないと周りの人に迷惑がかかることがなんとまぁ多いこと多いこと、でもそうでないと生きていけないですもんね。それが、「社会」の中で生きること。(だと思ってます)だけど、活動で沢山のタスクをこなしながら多少のストレスのある生活をしていたのに、ストレスが全くない状態に急になってしまったのは大きいと思う。個人的にはね。加えて、考えていた活動や進行中の活動がほぼストップして動きたくてもできないとか。視点を変えてやれることをやろうと思うけど、ブータンでも学校が休校になったりと中々イメージした通りには行くわけもなく。することもなく、かといって当時はブータンに戻る気満々だったかは日本で新しく仕事をしようとかは1ミリも考えていなかったということもあり虚無モードになったのかなぁ。

5月ごろからようやく少しずつブラックホールも鎮圧できるようになり、行動を起こし始めれたのは今振り返るとよくがんばったと思う。遅いよ!とか思う人もいるかもしれないけれど、これは経験した人でないと分からんと思う。女性の生理や男性がゴールドボールを蹴られた時と一緒だよ。

「社会」って漠然としたものだけれど繋がりかがないと本当に怖いものなんだと体験しました。でも、心を休める時も必要だと思うし、「社会」は繋がろうと思えば自ら幾らでも繋がることはできるから安心して欲しいと思う。自分に合った形を見つけるのは難しいけれど、幾らでも道はあるし繋がっているから思った通りにこれからも生きていこうと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございます。なんてことない文章ですが暇つぶしにでもなったら嬉しくてニヤけます。では〜

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