兵庫県問題 渡瀬元西播磨県民局長の不倫日記は県から貸与されたPCに入っていた。
2024-07-19
下記データは渡瀬さんが百条委の奥谷委員長宛に7月2日に内容証明郵便で送付(7月4日到着)した文書の内容で、同じ文書が生前の渡瀬さんから私に届きました。
この文書は、渡瀬さんが亡くなった翌日7月8日、亡くなられてから時間をおかない、朝9時半からの百条委の理事会で協議されました。
文章最後のほうで、『確認したところ全て本件告発文の真偽の究明には関係ないもでしたので。。』と、渡瀬氏が語っていることから、PCの中に不倫日記があったことを認めていると言えます。
【参考】兵庫県議会(姫路市)竹内ひであき「Web版ひであき日記」
「一死をもって抗議する」は本当だったのか?
7月12日渡瀬氏の奥様から県人事課に送られたメールの真偽
7月8日に渡瀬氏は亡くなられ、本来は(1)家族によるメール送信、 (2)県議会による公開、(3)報道機関による報道となるはずですが、 この件に関しては全く逆で、まず報道がなされ、議員による拡散があり、翌日の午後になって実際に家族がメールを出されたということになっています。
多くの報道では、元西播磨県民局長・渡瀬康英氏の「最後までやり通してください」というメッセージを残したことは家族のメールで伝えられたとされていますが、実際にはメール送信前に産経新聞の喜田あゆみ氏は「関係者」の取材で把握しており記事にしています。
兵庫県議会議員(姫路市選挙区選出)竹内ひであきの「Web版ひであき日記」から
渡瀬さんの奥さまからのメール、渡瀬さんの陳述書を公開します
2024-07-19
ここで不思議なのは、7月2日に渡瀬から百条委の奥谷委員長宛に7月2日に内容証明郵便で文書を送付(7月4日到着)しているのに、陳述書はなぜ一緒に送らなかったのか?もし、告発文に関する陳述書など作成していなかったのでは?
7月2日~亡くなる7月8日の間に作成したにしては、先の文書の内容(PC内の個人ファイルを公開しないでほしいという要請)と整合性が取れない気がする。
【速報】サンテレビ 百条委 元県民局長の出頭を求める決定
2024-06-27
7月19日