ただあなたに評価されたい!そう思いながらはたらいていました。
「私が仕えているのは国ではない。あなたです」
はたらくとは、そういうことだ。
急になんの話やねん。いや、はたらくとは何か?って話です。
「会社に貢献したい」とか「お客様の笑顔のために」とか、聖人君子のような動機やモチベーション。冒頭の騎士物語風セリフ(そうか?)にするならば、「王にこの身をささげましょう」とか「民草の笑顔のために」とかそんな感じだろうか。私にはその働き方は無理だ。滅私奉公をする気高き騎士にはなれない。私にとって、はたらくとは。
「尊敬する人に応えること」だった。
3年間、事務員として働いていたときのことだ。入社間もない私に、課長がこういった。
「自分たちのような管理系の仕事は、実績をあげて評価されることはとても難しい。数字を間違えないこと、会計を合わせること、こういうことは”やってあたりまえ”だと思われてるからね」
そのときは「そうですね」とかなんとか適当なことを返した気がする。
なぜなら仕事にやりがいを求めていなかったし、「評価をされたい」といったハングリー精神も持ち合わせていなかったから。この課長の言葉を身をもって痛感するのはもう少しあとの話だが、評価されないことに不満はなかった。ただ、上司との面談のときに書くあれやそれやが面倒だとは思った。
その課長は、別のことも教えてくれた。曰く「貯金はしっかりしておきなさいね」と。勤めていたのは大企業だったけど「世の中どうなるかわからないんだから」と。その助言に従って、私は会社を辞めるまで貯金を続けた。本気を出したのは辞めると決めた日からだったけど。
物腰が柔らかくて、穏やかな人だった。声の質が柔らかくて、人を威圧する雰囲気がなく、人の目を見るときは少しうかがうような目線だった気がする。かといって従順な人ではなかったようで、上の人にも忌憚のない意見をする人だったらしい。これは噂でしかないけど。
注意するときは理路整然として、仕事に対してすごく真面目だった。かといって堅物なわけではなくて、入りと抜きが上手な人だった。新人だからと適当にあしらわず、理論立てて物事を教えてくれた。
入社してすぐ、新米ペーペーの私は、一気にこの課長を好きになった。
もちろん恋愛的な意味ではなく、尊敬という意味で。
ほどなくしてその人は転勤になってしまったけれど、仕事上での関りは残っていた。退職するまでの3年間、なんやかんやでその課長と縁が切れることはなかった。
課長が元・課長になってしばらくしたある日のことだ。
「自分がわからないことを、わからないまま人に伝えちゃダメだよ」
しまった、と思った。
私は別の担当から聞いた内容を、そのまま元・課長にメールで伝えたのだ。正直私も「なんのこっちゃ」と思っていた。思っていたけど、「まあ、相手がわかるでしょ」と軽く考えていた。なので電話口で「これって文面通りだと、契約が変わることになっちゃうけど」と言われて焦り、そしてバレた。私がよく物事を理解してなかったことを。
気が緩んでいたのだ。「評価されたい」と思う相手が目の前からいなくなったら、そりゃあやる気も半減するというものだし、なんなら「課長だって大して気にしてないでしょう」と思っていた。もう別の部署の事務員ですし、と。
犬だって飼い主がいなくなったら悲しくなるし投げやりにもなる。私は犬ではないが。いや、はたから見れば犬だったかもしれない。
注意されて、しまったと思った。けれど同時に、飛び上がりたいくらいうれしかった。注意されている。にも関わらず私は「しっかり確認します」と元気に宣言して電話を切った。不思議と叱られていると感じなかったのは、柔らかい声のせいなのか、舞い上がった私の脳みそが幸せ物質を出していたせいなのかはわからない。それくらいにはうれしかった。
”まだ私に、何かを望んでくれている”
そう思うと俄然やる気が出てきた。早く確認して、そして完璧な形で返答をしてみせると意気込んで、そして意気揚々とことの発端になったメールを寄越した担当者のところへいった。
別に、大きな物語があるわけではない。重大な契約違反があったとかそんなドラマみたいな話は一切ない。
確認した結果、私の知見は広まって、元・課長には確り返答できた。そのときに「偉いね」と褒められて脳内麻薬がガンガンに出てきた。それだけだ。思い出すに、なんとも飴と鞭の使い方が上手な人だった。完全に手のひらの上で転がされていたのかもしれない。
私にとってはたらくことは、そういうことだった。
その人と関わる仕事は、全体の業務のうちのほんの少し。1カ月に一回発生する程度のもの。元・課長からの評価なんてなんの影響もない。直属の課長とか、部長とかからの評価の方が100倍重要だった。それでも、元・課長から褒められることが、期待をされることが私にとって、何よりもうれしくて、なによりも価値のあることだった。
部長に評価されるのはうれしい。先輩に褒められるのもうれしい。
だけど、それは私が仕事をする理由にはならなかった。
大きな理想も、崇高な目標もない。
それでも私にとって「はたらく」ことは、尊敬した人に評価をしてもらいたくて、業務をこなしていくことに他ならなかった。
もしもあの人が転勤しなかったら、私は仕事を辞めなかっただろうに。
「この人の下で仕事がしたかったな」と思えた人は、あとにも先にもあの人だけだ。会社のためではなく、世の中のためでもない。ただ、その人に認めてもらいたかった。
「私が仕えているのは国ではない。あなたに仕えているのです」
その言葉、なんだかとてもよくわかるのだ。
仕事を辞めるとき、元・上司は出張者経由で送別品をくれた。もったいなくて賞味期限ぎりぎりまで置いていたことは、私だけの秘密だ。