お前が最近ガッツポーズしたのはいつ?
先週あたりから私が考えていることについて話します。
タイトルは自分の中の厳しい自分に問いかけられる言葉です。
最近、ゲームやSNSで簡単にドーパミンとかアドレナリンが出るというのを耳にしたことがある人は少なくないんじゃないでしょうか。
大体の依存症の原因として手軽にドーパミン中毒が問題であるなんてことも聞いたことがあります。
その中の、アドレナリンについてです。
喜びがない〜…
流行りのちいかわに出てくるハチワレのセリフです。
最近まさに私も喜びがない状態に入っていました。
別に楽しくもない。死にたくなるほどの辛さもない。
感情の振れ幅はだいたい一定。
なんでこんなに面白くないんだろうって考えた時に一つの答えとして思いついたのが…
そこそこおもろいものが溢れかえっている
ってことです。
ほどほどのアドレナリンなら、50連したら一体レアが出るかなみたいな確率のガチャを10連したら出ます。
面白い動画を見たら10分もかからずに出ます。
これがいけないのかもしれないって思うんです。
ソシャゲが無い時に比べればびっくりするほど楽しい。
ただ、人間は慣れる生き物だからびっくりするほど楽しいことも浴びるように味わっていたら対して面白くもなくなります。
あなたが最後にガッツポーズしたくなるほど喜んだのはいつ?
私の最近の基準としてガッツポーズが自然に出る時はものすごいアドレナリンが出て、大体1ヶ月以上はそれのために頑張れるぐらいには楽しいことと認識しています。
最近の私の例なら、
友達とのスマブラ
強い人とのバドミントンガチ試合
ゲームでの目標としていたランク到達時
とかでしょうか。
あと、遡るなら、高校の時好きな人にラブレターを渡してそのお返事で
「こんな私でもいいならお付き合いこちらこそお願いします」って書かれたロフトで売っていそうなおしゃれな手紙をもらった時にもガッツポーズが出たのを記憶しています。
公式戦の三位決定戦でデュースの末に勝ててメダルがもらえた時なんかも全身の神経を右拳に集中させて手のひらに爪が刺さって血が出るんじゃないかってぐらいガッツポーズをして喜んだような覚えもあります。
大抵、超嬉しいことなんか滅多にない
これが今までの縄文とかから続く人間社会での真理なのかなって思います。
ただ現代は「ちょい嬉しいこと」が溢れかえっています。
別にいいことじゃんって思うかもしれません。
ただここからは私の個人的な話なので文句言わないで欲しいんですが…
ちょい嬉しいで満足していちゃいけないのかもしれない危機感
ちょい嬉しいことが溢れかえってそれをがぶ飲みしている現代人の私。
でもなんとなく不満感というか、ラーメンを替え玉まで食べた後、まだアイスとかが食べたくなるような足りない感を常に感じているのはなぜなのだろうと思った時…
妥協できるところとコスパ
こればっかり考えている気がします。
本当はガッツポーズしたくなるぐらい嬉しいことを達成したい。
それなのに、ガッツポーズするほどじゃ無いけどほどほどちょい嬉しい
「ラクして」手に入れられるものばっかり手に入れている。
それが一番コスパ良い。楽でほどほど。ツラくない。
ツラさへの耐性が落ちている理由
「大して努力しなくてもちょい楽しいことが無限に手に入れられるんだから、わざわざ辛いことをしてまでガッツポーズをする必要ある?」って私の中の悪魔が囁くんです。
別にその悪魔に負けていてもいいじゃん、だって楽しいんだもん。って人も中にはいるかもしれません。
ただ、私はそれじゃカッコよくないなって思うんです。
本当に手が震えるほど緊張して手に入れた一点とか評価とかって何にも替え難い達成感、充足感があります。
ただ、その過程はとても辛い。
しかも辛い時間はアホみたいに長いのに、喜びが満ちるのはたった一瞬。
試合で勝てた日だって、表彰台に乗っているときぐらいまでしか全部満ちた感覚は続きませんでした。
だけどそれが良いんじゃん
とてつもなく辛いことを乗り越えてやっと一滴だけポトッと垂れてきて、それをごく稀に舐められる。
その瞬間のために今日も頑張る。
これが本来の人間の嬉しさのあり方というか生き方なのかなって思います。
それをコスパ、タイパを考えすぎて、大して嬉しくもなく、大して辛くもないちょい嬉しいしか摂取しないから慣れてしまってむしろマイナス思考になったり、辛さへの耐性が落ちて萎えたり、必要以上に病んでしまったりする人が多いのかなって思ったりします。
だから?
そう。だからどうする?ってのが難しいんです。
思えば自分はずっとのらりくらり生きているようにも思えます。
弟は小学校の時点でロボットに興味があり、今では高専を目指す受験生になっていますが、私は小1のなりたいことのシートには「クロネコヤマトになりたい」って書いていたらしいです。(社名?概念???)
ただずっといろんなことを幅広く頑張っていたようにも思えます。
自信がないから一個失敗しても良いようにとにかくいろんなことを。
弟は弟の特性、俺には俺の特性がある。と一旦消化して、今本当に目指したい、これでガッツポーズしたいと思えることに全力を注ごうって思うんです。(なかなか怠け者なのでズンズン進んでる感じはありませんが💦)
そのために、ちょい嬉しいことにばっかり時間を使いすぎずに空き時間の暇つぶし程度に上手く距離を管理して、辛いけど本当にやりたいこと成したいことに時間を注ぐっていうことができたら良いのかなって思います。
長々と書きましたが、自分なりに病みかけ、病んでた時はなんでそうなっていたのか。
そして、どうやったら、そうならず前向きに生きられるかなっていう議題について「こう考えてるよ」っていうことをばーーーっと書きました。
私と同じようにちょい嬉しいで満足しちゃっていて喜びがない〜とか言ってる自分に嫌気がさしたりしている人が、辛いことがあってももうちょい踏ん張ってみようかって思えるようになれたりしていたら幸いです。
私ももうちょっとだけ「自分のやればできる子とくせい」を信じてみようかなって書きがなら改めて思いました。
それでは。