シンプルに生きることとミニマリストは違う気がした
今日学芸大で行われた映画を見て対話をする小さなイベントに行ってきました。
映画は『Simplife』という「身の丈暮らし」をテーマに小さな小さなワゴンカーの中でシンプルに生きる人たちについてのアメリカを舞台としたドキュメンタリーです。( http://yadokari.net/orchestra/orchestra-simplife/)
この小さなワゴンカーのことを”Tiny House”と呼ぶのですが、大体4~6帖ほどの大きさで、縦6m・横2mのTiny Houseも登場してきた。
多くのTiny Houseに住む人は
「アメリカンドリームで豪邸を買うもローンを払い戻し続けなければならない事実に違和感を感じた」
「片道1時間半の車の通勤に飽き飽きしてしまった」
などと人生をやり直す1つの方法として選択しているよう。
いわば大量生産・大量消費の社会からの逸脱を目指している人たちであって、小さな家の中には必要な数だけのへらなどの料理器具、収納可能な机とかやはり必要最低限のものだけで生きているように見えた。
これを人は「ミニマリスト」と呼ぶかもしれないけど「ミニマリスト」と簡単に呼べはしないような感覚を覚えた。
ミニマリストとは・・・
”
持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。(by 知恵蔵)
”
ほう、なるほど。こう言われるとSimplifeの人とあまり変わらないような気もするが。。
けど、Simplifeとは物を持つことを拒むわけではない。
ギターが好きな人はもちろんギターを置いてるし、用途に合わせたナイフをしっかり用意している人もいれば、ガスコンロを5つも備えている人もいる。
ある人が言うには
"
小さく生きることが大切なのではない。”身の丈に合ったサイズ(Human Scale)”で生きることが大切だ
"
と。
ここに何かSimplifeとミニマリストの違いが隠れているのではないかと。
要するに「シンプルに生きる」ことは”物を持たない”ことでななく
”本当に自分にとって大切な物、そして好きなものを選ぶこと”
にあるのではないかと思った。
今や音楽や書籍、写真など全ての情報がスマホ1つに入る時代、確かにそのすべてをスマホに入れて済むことはミニマムな感覚ではあるが、シンプルとはまた違ってくる感覚。シンプルさって、本を1ページづつめくるあの感覚や、思い出の写真がたくさん詰まったアルバムを回想しながら眺めたりだとか、そういう純粋な楽しい、幸せの中にあるのではないかと思った。大量生産・大量消費・電子機器化が激しく進む日常の中で忘れがちな、素朴なものに幸せを感じること。ミニマリストのように〇〇主義などというものではなく、自分にとって本当に大切な物を、選択するというより内面的なものであると思う。
とまあここまで書いたけど、うまくまとまらないので今日はここまでにしよう。
少しづつみんなに話してこの感覚を言語化していけるといいな~
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