自転車でカナダ~アラスカを旅した話 #23乖離
2018/6/17
午前八時起床。
テントを片付けているとショーンが出発した。リサはもう既にいなかった。
朝食はバナナとコーヒー、それからホステルの残り物のパンケーキ。
九時半に出発して山をひとつ越える。
昼前にシカモスの街に到着。
ここで食料とか調達して一休み。
それにしてもペースが遅かった。午後は更に淡々とした登りが続く。
イーグルリバーもまたサーモンが遡上する。
今考えると絶好の釣りポイントはいくらでもあったわけだけど、この頃の自分はそれに気付かずにスルーし続けていた。
午後二時、前方にリュックを背負った人が歩いているのを見つけた。
ハーイとだけ声を掛けて通り過ぎようとしたら呼び止められた。
ジェーソンと名乗ったこの男。カナダはイーストサイドの出身だと言っていた。
彼はどうやらヒッチハイクしながら歩いているらしく、バンフへ向かっているという。自分はバンフへは行かないと思うけど、とりあえず同じ方向へ向かっていた。
「お前タバコ持ってるか?俺のと交換しようぜ」
そう言ったジェーソンと一服しながら山を眺めた。
「俺はこっちで消防士の仕事をしてるんだ。ほら、あそこの山の上の方に木が禿げてるところがあるだろう?あれはパインビードルにやられたんだ。パインビードルにやられた木は死んで、山火事が起こる」
一体何の話をしているのかさっぱりわからなかった。
そもそもパインビードルとは何なのか。彼の話す英語は早くて聞き取りにくかった。
別れを告げて出発すると、後ろの方からジェーソンが叫んだ。
「バンフでまた会おうぜ!」
いやバンフには行かないつもりなんだがな、と思いながら手を振った。
それから再び登り基調の道を走り出したのだけど、明らかにちょっと自分の意識の状態が普通ではないのに気付いた。
体は自転車の運転に徹しているのだけど、頭は全く別の場所にあるようだった。どういう状態かということを言語化するのは難しい。強いて言うなら「半分寝ている状態」とでも言おうか。
例えば目が覚めてすぐは夢の内容を覚えているのに、意識が覚醒していくのに比例して夢が思い出せなくなっていくのに似ている。今この瞬間の現実を認識している自分を、次の瞬間にはもう思い出せなくなっていた。
ちょっとマズいな、と思った。
路面にキラキラ輝くものが見えた。
アスファルトの中にガラス片みたいなものが散りばめられているのかもしれない。
道路と森、森と空との色のコントラストが妙にくっきりしていた。
車が横切れば排気ガスの匂いをはっきりと嗅ぎ取ることができた。
そろそろお尻を上げないと鬱血してくる時間だけど、それをしなくても走り続けられそうな気がした。
ちょっと休まないといけない。喉が渇いた。
森の木陰でひと休み。
マフィンをいっぱい食べる。
食べたらもうどうでも良くなってしまって、寝転がって空を眺めた。
いや、そこには空はなかった。
木々に吸い込まれて空へ落ちてしまいそうになっていると、おじさん二人組がやってきた。釣りの人かもしれない。
「ここら辺にキャンプ場とかないですか?」
僕がそう尋ねると、ひとりのおじさんが「この辺で寝ちゃえばタダだぜ!泊まったら高くつくだろう?火だけ周りから見えないようにすれば大丈夫だ。これがカナディアンスタイルだ」
どうもありがとう、と答えると彼らは去っていった。
ここで一晩過ごすのも悪くないなと思ったけど、十分な水を持っていなかった。
そんなこんなでようやく意識を取り戻した自分は、なんとか目標のキャンプ場まで辿り着いた。
というか、キャンプ場を通り越していたからここまで引き返してきた。
スタッフが食料を熊から守るためにクーラーボックスを貸してくれた。
これでとりあえず安心だ。
今夜はエビ焼きそばを作ったけど、そんなに美味しくなかった。たぶんマフィンを食べすぎたせいだろう。
その夜はいろいろ考えたりしてたら遅くなってしまった。いや、実際は何も考えていなかったのかもしれない。とにかく疲れているのに眠れなかった。
「貴様は夢と現実とを比べて現実が巌のように確かなもののやうに思つているやうだが、ははは、バカ目。夢と現実の違いなんて、絹ごし豆腐と木綿豆腐くらいの違いでしかなく、どちらも潰れやすいのだよ」
今読んでいる町田康の小説の中で主人公が話した一節である。
その夜僕の頭の中にあったなんだか得体の知れないモヤモヤしたものは、およそそんな言葉に集約されるのだと思う。
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