自分にベクトルを向けてしまうこと
「自分のことしか見えてない」
最近よく思う、自分の課題である。
「自分のことが好き。」
それはそのままで良いんだろうけど、
「自分にしかベクトルが向いていない」
というのは良くない問題だ。
ネットの記事には、
このような思考の人は幼少期に愛されなかったのが原因だ
愛されて安心することで成長し他者にベクトルが向く
と書いてあったのだが、一人娘、初孫の私は自他ともに認めるくらい
愛されて育ってきたのだ。(父親はほとんど無干渉だったが)
自分にとって衝撃な出来事が起こされたとき、
「なぜ相手はこんなことをしたのだろう?」
「どういう気持ちになったのだろう」といったことを考えるのが、他人にベクトルが向いている状態。
しかし私は
「なぜこんなことをしたのか分からない!」
「私はショックを受けた!」
と自分の感じたことに全部のベクトルが向いてしまう。
あとから冷静になれば、他者やネットの助言を借りることである程度理解はできるのだが、リアルタイムはもうだめ。
「自分だったらこんなことはしない」と思う出来事が起きた時
じゃあ相手はどんな気持ちだったのか、考えても理解できない。
相手の状況で自分ならこうする、といったことは簡単に考えることができるが
相手の気持ちになって考える、難しすぎ。
普段から割とよく相談を受けるのだが、自分なら…というアドバイスしか出来ないし、自分の理解できないような行動、状況だと、そうなんだ、と受け止めることしかできない。
あれ、私何か人として欠如してる?
自分にベクトルが向くのは、他人に「愛されたい」という感情と同じように思う。
自分のことを見て!かまって!愛して! そんな欲求。
そもそもなんでこんなに「愛」を求めるのか。
母親からの愛をばちばちに受けてきた私は、
「母親がいなくなったあと自分を愛してくれる人がいないのでは」
という不安が大きいのだと、腑に落ちた。
いなくなったあとも同じように愛してくれる存在がほしい。
愛してくれている存在を失ったあとの自分に自信がない。
結局は自分の価値を外に求めていて、自分自身に自信がない。
いつだったか、相手に愛されることで承認欲求を満たしていると、相手が手放した瞬間地に落ちるイラストを思い出した。
さて、どうすれば自分を認められるのか。
ベクトルを外へ向けるように成長できるのか。
自分に確固たる自信を持つこと。それに尽きるだろう。
自分に自信があれば、相手がどうしようが、自分は自分。
相手に愛されたい、という相手に依存した考えは、不確実なものだ。
だって相手の気持ちは私が完全にコントロールできるわけない。
その自信は、お金じゃない。
1人で生きられる自信がなくて、1人になるのが怖くて、いつかのための保険として貯金を割としてきた。
20代サラリーマンの年収くらいは貯まったが、不安は10万も貯金がなかった時と変わらない。10億とかあれば変わるかもしれないが、まあお金で解決するのは難しそうだ。
その自信は、顔じゃない。
努力をした上での美貌なら自信につながるかもしれないが、
努力をしたことのない甘えた容姿は、年齢とともに崩れていく。
今はチヤホヤされるかもしれないが、そのうち廃れていくのだとしたら、武器にはしてもいいけど、自信には繋がらない。
そして、この顔によって愛されても、満たされることはない。
その自信は、自分で何かを獲得したもの。
さて、どんな自分になりたいか、何を獲得しようか。
見つけたらまた書いていきます。
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