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チャットから辿る平成初期世代の歴史

こんばんは、メイです。

わたくしは1995年生まれ、正真正銘のネットネイティブ世代です。

そんなメイのネット歴における、チャット関連に重きを置いての青春を綴ります。

懐かしんでくれる同級生は仲良くなれます、友達になりましょう。

そして「知らなかった」と感じた上・下の世代の方は、面白がって見てみてください。

1.全てはここから始まる「一太郎スマイル」

小学校では「パソコン教室」というものがあり、Windowsのブラウン管みたいなモニターのパソコンが並んでいました。

メイは自宅にパソコンがあったので、その頃からタイピングは得意。

しかし周りには「かな打ち入力」を人差し指でしか出来ない子たちも普通にいました。

キーボードはもちろん麻婆豆腐みたいなポッシンポッシン押す軽量化されていないもの。

マウスも当然有線。

パソコンへの学びはここがスタートラインとなりました。


2.通常のチャットルームが流行る

当時のチャットでは入室したルームで必ず

「こん^^」

と書くのがモラルでした。
これは「こんにちは」の意です。

逆に退出するときは

「ノシ」

と打ち込みます。
これは手を振る様子を
顔文字化したようなものです。

「てら」

こちらは「いってらっしゃい」の略称となります。

「お風呂でチャットから離脱する」としたら
「ふろりだ」→「てら」or「ふろてら」
となります。

また、チャットには4種類の人間がいました。

・普通に話をしたい良心的な人
・荒らし
・チャエロ(※チャット内の文字のみで卑猥なことを要求する)目的
・出会い厨

今より可愛いもんですがこういった人種でインターネットは成り立っていました。

3.女子は通った「ふみこみゅ」

こちらは「小中学生女子」向けに作られた交流サイトです。

後に10年以上使うこととなる「龍那(りゅうな)」というハンドルネームはここから生まれました。

今のように好きな画像などをアイコン設定できず、ふみこみゅから提供されている数種類からアイコンを選択します。

もちろんチャット機能もありましたが、今では考えられない「文通応募掲示板」も存在しており、住所や名前を公開する掲示板もありました。

実際メイは文通していた仲間が3人ほどいました。本当に手紙が届くまでワクワクした良い思い出しかないです。(今思えば住所公開怖すぎだけどね)

文通にもいろんな種類がありました。

・ギャル字で文通
・プリクラ交換文通
・イラスト交換文通

など…。
メイはもちろん「イラスト交換」で文通をしていました。

ラインやメールを個人で持ってない小中学生時代、「文通」と「ふみこみゅ」だけで繋がっていたので、いまやあの頃仲良くしていた子たちは、どうしているのかわかりません。

それもまた一興。

4.知る人ぞ知る「もなちゃと」

これは本当に面白いチャットでした。

当時活躍していた2ちゃねる(後の5ちゃんとなる)のキャラクターたちを選択して、チャットができます。

ここは本当にカオスの世界でした。

もなちゃとのおもしろいところ
1.荒らし師・喧嘩師が居る
当時「強い荒らし師」というのはチームを結託している場合がありました。

〇〇組の荒らし師がルームに入ってきたときは通常にお話しが出来ません。

なぜなら画像にあるように吹き出しでお話しするのですが、一斉に長い「オラオラオラオラオラオラ」とか「ゴルァアアアアアアアアアアア」などの吹き出しを打ち込み、画面一帯が吹き出しで見えなくなるのです。

そういうときはルームを移動します。
「54で」「おk」というノリでね。

2.自作がある
もなちゃと常連になると、たまに混ざってる「ガチプログラマー」に出会うことができました。

もなちゃとに対して、特別なプログラムをされたソフトを入れ込むことにより「自作もなちゃと」を持ってる人のみ楽しめる仕様にすることもできました。

メイはその頃「荒巻」の「りゅうな」という名前で遊んでいました。

⬇︎荒巻

5.アメブロやハンゲームが流行り、チャットで出会った仲間とのパイプができる

上記の通り、この頃はふみこみゅと違い、他のスカイプやアメブロ、ハンゲームなどでアカウントを教え合い、連絡が取れる状態になりました。

なので数年仲良くしていた子も居ます。

しかし大半はあの頃の人たちとはもう連絡がとれません。

6.「絵茶」「お絵かき掲示板」にハマる

まず「絵茶」ってなぁに?となるでしょう。
これは「お絵かき絵チャット」の略称で、オンラインかつリアルタイムで大きなキャンバスに数人同時に絵を描くことができるのです。

当時は絵を描く+文字でのチャットしかツールがなく、見ず知らずの出会った人とお絵かきを楽しむか、友達同士で同時に入室するなどして一緒にお絵かきを楽しみます。

暗黙の了解で「マウスです」という人は「絵が下手だけど許してね」の意となります。

逆にそれ以外は「ペンタブ」を所持しており、当時のメイはペンタブに強く憧れました。

たまに「マウス宣言」したくせにクソうま絵師が現れる時があります。

そんな時は、すかさずチャットで「〇〇さん!マウスなのに上手すぎ←(ォィ…汗)」と言いましょう。

※「←」を覚えたてで異常すぎる乱用をする+「キモい自分ツッコミ」はこの頃の基本ネットルールみたいなものです。痛すぎますが、文化です。

さてお絵かき掲示板ですが、これはその名の通りネットでお絵描きしたものを公開していく掲示板です。

当時一番流行ったのは「しぃペインター」という機能が搭載されている掲示板でした。

ちなみにこれも当時2ちゃんねるに「しぃ」というキャラが居て、そこから名付けられたものです。

簡単なエアブラシ・ペンなどの機能と、レイヤー機能がありました。

一時保存ができる掲示板、線画師が「塗ってください」という掲示板、「〇〇のアニメ限定掲示板」など様々ありました。

今や敗退の文化となりますが、一時保存のことを「いちほ」と言い、絵のタイトルやコメントに書き込みます。

すると仲のいい人たちが
「完成楽しみです^^!」
などのコメントを残してくれる優しい世界です。

時代は前後しますが、小学生の時は、エヴァ掲示板に「れもん」という名前でよく居ました。こち亀の「擬宝珠檸檬(ぎぼしれもん)」というキャラから名付けました。

⬇︎擬宝珠檸檬


9.プラットホームは個人と繋がる方向へ「前略プロフィール」のBBS

もはや「BBS」というものも死語でしょう。

前略プロフィールはとても有名なので、多くの方が通ってきたかと思いますが、こちらの最下部には「BBS(電子掲示板)」がありました。

そこではコメントを残したり、プロフィール主とのコミュニケーションを取れる、今のSNSにより近い形へと変貌し、不特定多数とお話をする機会は少なくなっていきました。

ちなみに「前略プロフィール」のID(所謂URL番号)は当時、10桁ほどの数字でしたが、みんながみんな自分の電話番号を語るが如く言えるものでした。

その頃には古き良き時代、「こん^^」も衰退するのです。

なぜなら上記の通り「知り合いと話す」感覚なのでわざわざ、このような挨拶は不要となってくるのです。

悲しいかな、「こん^^」「ふろてら」「ノシ」などのチャット用語は死語なります。

また、その頃には携帯や個人のメールアドレスが普及しており、さらにBBS自体も衰退する原因の背景となりました。

今日のまとめ

良い時代だった、チャット時代。
そして新たに更なる進化を遂げているSNS。

チャットの衰退はSNS進化の過程でしかすぎません。

あの頃、顔も名前も居場所も何もかも知らないチャット仲間たちは今頃どうしているのだろう。

あの頃、文通していた同じ歳のあの子。
最後にくれた手紙は「返事遅れてごめんね!引っ越しすることになったんだ」と綴り、その年に最後の「ひぐらしのレナ」が描かれた、住所の宛名が無い年賀状を送ってくれました。

ふみこみゅでV系バンド「ナイトメア」がきっかけで仲良くなった宮城の子。

連絡も途切れ数年した後に起こった「3.11」。

数年も連絡なんてしてなかったのに、真先にその子が浮かび、震災から数日経ってから繋がるかどうかわからない電話番号に電話しました。

「覚えてくれてたんか!こっちは山の上の方に住んでたから、大丈夫だったよ。冷凍食品を太陽の温もりだけで解凍して食ってるけど、宮城寒ぃから意味がねぇべ、かってぇままコロッケ食ってる」

繋がった電話で安否を確認して涙が出そうになったこともありました。でももうわからない連絡先。あの子は元気かなぁ。

良い思い出だけをどうもありがとう。

いかがでしょうか。

以上がメイの青春チャット歴から辿る、懐かしみと歴史でした。

次もネットのこと書くね。

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