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ポケカ始めて1年でPJCSを経験できた話


おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。

佐賀県を中心にポケカをゆるく嗜んでるピカ帽子と申します。

まず初めにお伝えしておきます。このnoteは環境考察やデッキ紹介のような、読んでくださってる皆さんのポケカ人生の参考になるような内容は一切記載しておりませんのでご了承ください。

暇で暇で暇で仕方ない時に鼻くそほじりながら読むのにちょうど良い内容となっております。

①ポケモンとの出会い

まず、僕とポケモンの出会いについてです。

僕は比較的、厳しい家庭環境で育ちました。両親が厳しく、アニメ・マンガ・ゲーム・カードゲームといった子供の娯楽はほとんど触れさせてもらえない幼少期を過ごしました。

小学生の頃までは実家にテレビがあったのですが、観ることが許されたアニメはドラえもん、サザエさん、ポケモンくらいでした。クレヨンしんちゃんを観ようものならめちゃくちゃ怒られてました。

ちなみに小6の時にテレビが壊れて以降、実家にはテレビがありません。実家からテレビが消えてもう20年くらいになります。テレビがない生活が当たり前になって色んな感覚がズレてました。謎にラジオが4〜5台あったので、世間の情報は新聞とラジオから得ていました。

年末になると同級生は「ガキ使おもしろいよな!」という話題で盛り上がってましたが、我が家はラジオで紅白を"聴く"のが年末の過ごし方でした。ラジオから「今年も小林幸子の衣装がすごい!翼のように大きく広がり、ひかり輝いています!赤い衣装に身を包む姿はまるでフェニックス!!」と流れてきても、頭の中でイメージするのが精一杯でした。今でも僕の中で小林幸子=ホウオウです。

話が脱線しましたが、小学生の頃のピカ帽子少年はお小遣い制ではなかったので、気になるマンガもゲームも買えず、友達の家でこっそり貸してもらうのが唯一の楽しみでした。

当時、一番仲が良かった友達は比較的裕福な家庭でゲームもマンガもカードもたくさん持ってて、毎日のようにその子の家に行ってはNintendo64のスマブラしたり、ポケモンスタジアムしたり、デュエマや遊戯王、ポケカのキラキラコレクションを眺めてました。

その中でもポケモンスタジアム金銀のミニゲーム、いあいぎりがっせん(って名前だった気がする)にハマってたのを今でも覚えています。

そこからポケモンが大好きになりましたが、相変わらずカードやゲームなどは買ってもらえませんでした。そんな中、唯一買い与えてもらえたのがポケモンパンでした。ポケモンパンに付いてるシールを集めるのが当時の僕の趣味でした。

たくさん買って、推しポケをシールホルダーに保管したり、水筒や自室のガラス窓、缶ペンケースなどにペタペタ貼りまくってました。人間のシール(タケシ、ケンジ、マサトなど)が出た時のガッカリ感が懐かしいです。

小4〜小5の時に学校でいじめられてて、集めてたシールを盗られたり剥がされたりした時はショックで一時的に不登校になってしまいました。その時のトラウマでシールのコレクションはそれ以降全部捨ててしまいました…。

その後、人生で初めてゲームを買いました。お年玉を貯めて親を説得して、当時大人気だったゲームボーイアドバンスSPとサファイアを買いました。

SPは折りたたみ式でコンパクトで、なおかつ画面が明るくなり、当時の小学生にとって革命のような出来事でした。画面が明るくなったことで布団の中で隠れてゲームをするようになり、半年で視力がAからDになりました。今ではコンタクトがないと日常生活が送れないくらい目が悪いです。良い子は真似しないように。

そんなこんなでサファイアを狂ったようにプレイし、レベ100や色違いを何匹も揃えていたピカ帽子少年に悲劇が訪れます。

ある日、小学校から帰っていつものようにサファイアをプレイしようとしましたが、机の中に収納していたSP(サファイア付き)が見当たりません。

家の中を探していると、当時4才くらいの弟がSPをパカパカして遊んでました。「やべぇ!」と思って慌てて取り上げましたが、差してたはずのサファイアが見当たりません。再度、家の中を探し回りますが全然見当たりません。

何時間も探して尿意の限界が訪れ、一旦トイレに入りました。そして洋式トイレの上蓋を上げた瞬間衝撃的な光景が目の前に広がりました。

洋式トイレの中にサファイアのソフトがプカプカと浮かんでいたのです。

頭の中が真っ白になり、慌ててサファイアを拾い上げました。素手です。便器の中に手を突っ込んだのはこの時が最初で最後でした。

「うわぁぁぁぁぁ!」

今でもあの時のショックは忘れられません。パニックになったピカ帽子少年は、拾い上げたサファイアを濡れたままSPに差して電源を付けてしまいました。

………もちろん電源は付きませんでした。

濡れたままのソフトを差し込んでしまったのでSPまで一緒にぶっ壊れてしまったのです。

さよなら、レベ100のカイオーガとレックウザ。
さよなら、青色のフライゴン。

犯人はもちろん弟でした。

その日の夜は泣きました。血の涙が出るんじゃないかってくらい泣きました。

あんなに泣いたのは人生で2回だけ。サファイア水没事件と、高校3年のセンター試験直前に当時好きだった女の子(AKBのたかみな似)に告白して「男として見れない」とフラれた時の2回だけです。

中学・高校は部活と勉強に追われ全然ゲームが出来てなかったのですが、大学に入ってからは一人暮らしだったので、これまでの反動で漫画やゲームをめちゃくちゃ買ってました。ポケモンはBW以外は全部やりました。この頃から厳選を覚え、ランクマッチにも潜るようになりました。

②ポケカとの出会い

前置きがかなり長くなりましたが、ここからようやくポケカとの出会い編です。

ポケモンカードは幼少期に友達からもらったものを集める程度でしたが、ちょうど1年前の2023年6月から職場の後輩くん2人の影響で本格的に始めました。箱で言うと151からです。

最初は後輩くんとのコミュニケーションの一環として軽い気持ちで始めたのですが、しっかりハマってしまいました。

ちなみに一番最初はデンリュウexのスタートセットを買いました。その後は、後輩くん達から汎用カードを譲ってもらい、最初はアルギラとパオジアンを組んでみました。

最初のうちは後輩くん達と対戦するだけで満足してましたが、徐々に他の人とも対戦してみたい気持ちが出てきたので、後輩くんにモラージュ佐賀のカードショップ「インパクト」さんに連れて行ってもらいました。

若い子達がいっぱいいたのでめちゃくちゃビビってたのが懐かしいです。

初めてインパクトさんに行った時のことは今でも忘れません。パオジアンを使ってたのですが、TBSK先輩の白ルギア、MRMさんの一撃ルギアにボッコボコのメッタメタにされ、サイド1枚も取れませんでした。

結局その日は3戦全敗でインパクトに集う人達のレベルの高さに圧倒されて涙目で帰りました。

今でもTBSK先輩と会うとあの日の記憶が蘇って泣きそうになります。

初インパクト参戦記念の天ぷら

その時のトラウマが原因で、それ以降パオジアンを握れない身体になってしまいました←

黒炎でリザードンが出てからは、アルセピジョリザを2ヶ月くらい使ってました。サナも一時的な触ったのですが難しすぎて断念。9月からロスギラを握り始めました。

この時から既にサイド落ちが酷い

③小城ようかんカップ開催までの経緯



7月に入ってジムバトルにも何度か出ていましたが、ここであることに気付きます。

「小城から佐賀まで…遠くね!?」

僕は小城に住んでるのですが、小城にはカドショもないですし、ジムバや大会を開いてくれる場所もなく、大会に出たい場合は片道30分以上かけて佐賀市内まで行くか、1時間かけて伊万里市内まで行く必要がありました。

結婚しているので、独身の頃のように趣味に費やせる時間もお金も限られてます。共働きなので妻と休みが合うのが日曜のみ。その日曜に家事もせず好き勝手1人で遊びに(ポケカしに)行くと妻の機嫌がよろしくない…。(当たり前)

・ポケカしたいけど市内まで行くのは若干遠い
・そもそも大会の日と休みが全然合わない
・当時はまだポケカの知り合いも全然いなかった

僕は悩んだ結果、このような考えにいたりました。

「大会が無いなら自分で開けばいいじゃない」
「小城にもポケカしたい人ちょっとはおるやろ」

某マリーアントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」的な軽いノリで小城でポケカの大会開けばいいんじゃねと考えました。

ちなみに、この「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という有名なセリフは実はマリーアントワネットの言葉ではないらしいですね。実はルソーの「告白」という自伝の中から引用して後世の人間が語り継いだだけらしいですよ。(どうでもいい)

また話がズレましたが、そんなこんなで小城で自主大会を開いてみようという考えに至りました。

④大会を開くにためには?

大会を開くと言っても、ポケカ初めて1ヶ月ちょっとの素人です。なんの知識もありません。「オーガナイザー?なにそれ美味しいの?」って感じでした。

自分なりに色々調べた結果、

・非公認の自主大会を開くこと自体に資格が必要なわけではない
・高額な景品や参加費は賭博罪や景品表示法に触れる可能性がある

ということが分かりました。

趣味でめんどくさいことに巻き込まれたくなかったので、大会のコンセプトとして「初心者でも気軽に来れて誰でも楽しめる交流会」という形でゆるく進めることにしました。

なので、僕が主催する「小城ようかんカップ」の参加費は最小限の100円or200円のみで、参加費は全て会場使用料(エアコン含む)に使わせてもらってます。景品に関しては、自分の私物のカードやサプライなどを主に出してます。

⑤小城ようかんカップ開催

記念すべき第1回大会

なんやかんやで2023年8月に第1回小城ようかんカップを開催することが出来ました。

第1回にも関わらず、16名の方に参加していただき、本当に嬉しかったです!

優勝された、やちさんは景品のデッキビルドボックスを参加された子供達にプレゼントしてくださいました。

第1回は3〜4人?くらいしかいなかった小学生プレイヤーが、今では10人以上集まる時もあるくらい子供達も楽しんで来てもらえる大会となりました。

小学生プレイヤーがリピーターになってくれて、口コミで参加者が増えていったのは、本当にこの時のやちさんの素晴らしい行動のおかげだと思ってます。改めて、ありがとうございました!

やちさん好き!イケメン!かっこいい!(突然の告白)

そこから、毎月第2日曜を中心に大会を重ね、秋頃からは平日の夜の「小城ゲリラ」も始まり、2月には「ジュニアようかんカップ」「シニアようかんカップ」も開催することが出来ました。

参加者の数も最初は16名でしたが、徐々に増えていき、本当にありがたいことに今では一番広い部屋に入る最大人数の54名の参加枠が埋まるほど、たくさんの方に来ていただける大会になりました。

「誰かのために」「子供達のために」など、そんなカッコいい気持ちで始めたわけではありません。シンプルに「自分がポケカしたいから」という理由だけで始めた小さな自主大会に、これだけの人が集まっていただけてること、本当に感謝しております。

6月で小城ようかんカップは第12回を迎えます。8月の第14回で丸一年になりますので、感謝の気持ちを込めて、景品をいつもより少し豪華にしようかなと思っております。

楽しみにしていてください!

そして、いつも景品の寄付をしてくださる、インパクトさん、参加者の皆さん、本当にありがとうございます!皆さんのご協力がなければ一年続きませんでした。

この場をお借りして、改めて御礼を言われてください。ありがとうございます!

⑥PJCS2024への参加

ジムバトルや小城ようかんカップで練習を重ね、後輩くん達からの勧めもあり、今シーズンからシティリーグに出てみることにしました。

S1 オレタン福岡 4-1 ベスト8
S2 佐賀南バイ 3-2 15位
S3 長崎浜町 4-2 19位
S4 オレタン福岡 3-3 32位


レアリティは少しずつ上がってるのに、成績は少しずつ下がっている……(笑)

結局シティリーグは全てロスギラで出ました。

ロスギラを握ろうと思ったきっかけは「ロストは難しいけど扱えるようになったら強いよ」という後輩くんの一言でした。

そこからずっと練習して、プレミも多いですが、まぁなんとか扱えるようになったかなという感じです。

ジムバや自主大会でちょくちょく優勝できるようになりましたが、それでもシティリーグでは全然結果が出せないまま今シーズンが終わってしまいました。

最高成績がベスト8で、CLは全部抽選落ちだったので、普通ならPJCSには出る権利すらないのですが、「かなり低い確率だけど抽選枠もあるよ」と教えてもらい、わずかな希望を求めてPJCS2024の抽選に応募しました。

まさかの抽選で受かった

⑦PJCSまでの日々

まさか受かると思ってなかったので、画面を開いた瞬間飛び上がりました。そして、その直後に妻にガチ土下座して横浜行きの許可を得ました。

めちゃくちゃ嬉しかった反面、「自分なんかがPJCSに出ていいのだろうか…」という不安がすぐに襲ってきました。

前述した通り、今シーズンのシティリーグ最高成績がベスト8。CLにすら出たことない人間です。周りにはシティリーグの決勝で敗れて惜しくもPJCSの権利を逃した人もいましたし、PJCSの権利を持っているのに仕事や家庭の事情で出れない人もいました。

一瞬、出るのを躊躇しましたが、「PJCSに出れる機会なんて何度もあるわけではないし、せっかく抽選に通ったのに辞退したらそれこそ他の人に申し訳ない。出るならちゃんと練習して、運だけ出場でも恥ずかしくない結果を残したい。」と思い、出場を決めました。

それから、毎日自分なりに練習をしました。職場の昼休みや退勤後には後輩くん達と練習し、家でも時間が許す限り1人回しやPTCGLしたり、連続小城ゲリラを開催したり、インパクトさんに開店から閉店まで滞在して対人練習したり、とにかく大会までの3週間はひたすら練習しました。少しでも時間があれば練習しました。

その間もやっぱり不安の方が大きくて「0-3して叩かれたらどうしよう」「結果出してないのに運だけって言われてたらどうしよう」という気持ちがずっと付き纏ってたので、大会前日に佐賀を出発するまで本当にごく一部の人にしか出場することを言えませんでした。

⑧いざ、決戦の地へ

大会前日、佐賀から福岡、そして東京へ飛びました✈️

東京では、以前ジムバで知り合っていた福岡のてしむ」さんと、そのお友達「平和ちゃん」さんと合流させていただきました。

羽田空港から池袋までは行けたのですが、池袋のど真ん中で迷子になってしまい、お迎えに来ていただきました。1人だと不安しかないのでお2人がいてくださって本当に頼もしかったです。

そここら、池袋のポケセンのフリー対戦スペースや渋谷のポケカラウンジで何戦か練習をさせていただき、ホテルにチェックインしてからも深夜まで直前練習に付き合っていただきました。

ポケモンスイーツ
肉と酒
ポケセン池袋のぬいぐるみゾーン
渋谷 ポケカラウンジ
池袋のフリー対戦スペース 平和ちゃんさんと最終調整
てしむさんと記念撮影

初めての土地、初めての大型大会、しかもそれがPJCSということで、前夜は緊張と不安で全然寝付けませんでした。ぶっちゃけ「楽しみ」とか「ワクワク」といった感情は全く無く、「不安」「緊張」「負けたらどうしよう」という気持ちで押し潰されそうで、当日、試合開始までの記憶があんまりありません。お腹も痛くなって何度もトイレに行きました。\ウンコー/

⑨当日のマッチング


① vsロストバレット(青ロスト) 5-3 ❌(投了)

緊張し過ぎてガチガチバンドでした。お相手はCLトナメ&シティ優勝者で、某チームに所属してる強プレイヤーでした。

始まるまでは良い人でしたが、対戦開始後にキャラ変して、態度があんまり良くないタイプの人で、最後ロストマインで勝ち盤面まで持っていきましたが、時間を使われて両負けになりそうだったので終了直前に投了しました。

「両負け=オポに影響する」としか頭になかったのですが、後から冷静になれば、PJCSは3敗した時点で強制ドロップなのでオポあんまり関係ないことに気付きちょっと後悔しました。投了せずそのまま両負けで道連れにしてやればよかったです。(ブラックピカ帽子)

②vsサーナイトex 6-4⭕️

この試合もシティ優勝者との試合でした。

この試合はギラティナv3枚落ち&初手ヤミラミ手張りエンド&アクロマ引けずだったので、ぶっちゃけ負けたと思ってましたが、後半のキャッチャーツツジマナフィ縛りがブッ刺さって大逆転勝ちできました。

③vsサーフゴーパルキア 6-5⭕️

この試合もシティ優勝者でした。周りに抽選枠いないんじゃないかと思うくらい優先権保持者ばかり。

この試合は後1おとぼけでコレクレー狩って、後2にもう1匹コレクレー狩って、相手にサーフゴーを1体しか立たせてなかったのがデカかったです。終盤はプライムキャッチャーツツジでサーフゴー倒して無事に勝利しました。

④vsロスバレ(闘入り赤ロスト) 0-6❌

この試合もシティ優勝者でした。お相手さんどこかで見たことある顔で、お話を聞くと、以前配信卓で映ったことあるとのことでした。名前は知りません。

この試合はまさかのミラゲ3落ちでした。しかも山札確認前、後1はなえらびでアクロマorミラゲの選択になり、ミラゲをロストしてたので山札にミラゲ0枚の状態でスタートしました。

もちろん何も出来ず一方的に殴られてボロ負けでした。面白そうなロスバレを使われていたので事故ってない時に戦いたかったです。

⑤vsロスギラ 6-5⭕️

この試合もシティ優勝者。韓国と日本のハーフ?の方でした。ここからは負けたら即終了の大切な試合になります。

ロスギラミラーは死ぬほど練習したので、プラン通りの大怪獣バトルで勝つことができました。


⑥vsドラパルトリザードン 6-0⭕️

ここに来てやっっっと、抽選枠の方と対戦することが出来ました。お相手さんも周りに抽選枠がいなかったらしく、噂によると今回のPJCSの参加者2000人のうち抽選枠は200人だったらしいです。(※本当かどうかは知りません)

この試合も後1おとぼけで相手のドラメシヤ取り、その後もヒトカゲ、ドロンチと進化前を狩り取ることが出来たので勝つことが出来ました。

お相手さんが本当に良い人で終始お互い笑顔でリラックスして試合に臨めました。試合後も爽やかで好印象でした。

勝っても負けても、笑顔で終われるような雰囲気の良いプレイヤーは見てて気持ち良いので、自分もそうありたいと再認識できました。

⑦vsロストドラパルト 4-2⭕️(お相手投了)

この試合もシティ優勝者でした。ジャミングタワーとロストスイーパーがブッ刺さって、終始こちらのリズムで試合が進んだこともあり、最後は投了勝ちでした。

ここまで5勝2敗で、サンダーexのプロモカードがもらえました。めちゃくちゃ嬉しかったです。

⑧vsサーナイトex 3-6 ❌

最終戦となったこの試合は福岡の方でした。知り合いのお友達だったらしいです。自分が出てた日のオレタンでシティ優勝されてたみたいです。

めちゃくちゃプレイングうまくて普通に負けました。プレミはなかったはずですが、お相手さんがシンプルに強くて上手くて完敗でした。

また福岡の大会などでお会いした時などに再戦させていただきたいです!

⑩当日の使用リスト

ということで、初めてのPJCSは5勝3敗でday1敗退となりました。

素晴らしい会場で、各地のシティを勝ち上がってこられた強者の方々と試合が出来て本当に良い経験になりました。

正直、PJCSで5勝も出来るとは思ってませんでした。マッチ運にも恵まれたと思いますし、後半の4試合はアクロマさんがめちゃくちゃ働いてくれました。

PJCS2024 使用リスト

今回の使用したロスギラのリストです。

エーススペックを最後の最後まで迷いました。アンフェアも強いし、ベルトも強いし。本当に悩みました。

最終的には広い対面見れて、序盤に相手の進化前を狩れたり、後ろのVやexを取れるプライムキャッチャーにしました。

結果的にはプライムキャッチャーが大活躍した一日でした。結果的にベルトが無意味な対面が多かったのもありますが、序盤に進化前を取って有利に試合が進むことが多かったです。

ジャミングタワーも刺さりました。相手のエヴォリューションや封印石、ボード、おまもりを無効化出来ました。特にドラパ対面、お相手さんはエヴォリューションも使えず、ボードで逃げも出来ず、かなり苦しそうでした。

スイーパーの2枚目もかなり迷いましたが、相手の道具を剥がしたり、自分の道具やスタジアムを剥がして最速で手裏剣打てたり、先3ロストマインが打てた場面がありました。脳死でアビスシークしたら先2きょくらいごうやフォトンブラスターで前のギラティナv飛ばされる盤面も増えたので、スイーパーでロスト貯めていくことも多かったです。

いつも言ってますが、ロストは本当に枠が60枚じゃ足りないので、何かを切る覚悟も必要かなと思いました。本当に悩ましい。

今回の構築に至るまでにたくさんの方からアドバイスをいただきました。インパクトのロスト使いの皆さんのアドバイスも本当にありがたかったです。これからも参考にさせていただきます!

改めてありがとうございました!

サンダーのプロモめちゃくちゃ嬉しい

最後に

とても長くなりましたが、最後にまとめます。

ポケカを始めてまだ1年ですが、今回PJCSという日本で1番大きい大会に参加させていただけて本当に幸せでした。

次回以降は、シティリーグで優勝して自分の力でPJCS出場の権利を掴み取りたいと思います!

今回のPJCSでの5勝は自分1人では絶対に達成できなかったと思ってます。

いつも練習に付き合ってくれる後輩くん達、優しくフリーの相手してくださるインパクトの民、景品の寄付をしてくださるインパクトのスタッフさん、小城ようかんや小城ゲリラに来てくださる皆さん、東京のアテンドしてくださった平和ちゃん、てしむさん、PJCSの2日間でお会いした皆さん……たくさんの方のおかげだと思ってます。

この一年、本当にたくさんの方の優しさやご協力に支えていただき、こうやってポケカを楽しむことが出来ています。

本当にありがとうございます!

皆さんのおかげで良い経験が出来たので、せめてもの気持ちで東京から佐賀に戻ってきたその足でインパクトさんに挨拶に行きました。

その場にいた方々にはお土産をお渡しさせていただきましたが、お会いできなかった方々には後日お会いした時にでも直接御礼を言わせてください。

これからも今まで同様、楽しくポケカと向き合っていけたらいいなと思っています。

小城ようかんカップでも、インパクトさんでも、これからもたくさんお世話になると思います。

\ミンナ/ 宜しくお願い致します!\アリガトー/

戦績 5-3
今回新たにお出迎えしたご当地ピカ様たち🥰

お!わ!り!

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