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浦島太郎を生物地理学観点から考える【タイ・タオ島】

物語が生まれた瞬間


 人生で初めて訪れた外国はタイであった。
 19歳の頃、海外ではろくに携帯電話も使えない時代に、地図を片手に80ℓの大きなバックパックを背負って歩いたあの日々は、今の私の心の土台を作ったとも言えるだろう。

 旅の始まりに、タイのタオ島を訪れた。目的は(魚の目線が知りたくて)ダイビングのライセンス取得。東北の太平洋側で育った私にとって、ターコイズブルーの美しい海は初めてであった。もちろん、日本では沖縄にも行ったことがなかった。

 ライセンスの取得講習が始まる前の朝のこと。私は誰もいない海に1人で泳ぎに行った。元々海で泳ぐのは好きだったが、白い砂浜とガラスのように透明な海、色とりどりの珊瑚やカラフルな魚たちが泳ぐ海の魅力は計り知れず、息の続く限り海に顔をつけて泳ぎ続けた。

 ふと気付くと、海の色が変わっていることに気付く。朝9時頃から泳いでいたと思うが、気付いたら頭のてっぺんよりうしろ側に太陽が輝いている。そして潮汐により、近かったはずの砂浜が遠くなり、水際の様子は朝とは大きく変わっていた。焦る気持ちを抑えながら必死に泳ぎ、なんとか砂浜までたどり着き、ふう‥と砂浜に転がったときのことだ。「痛っ!!」 背中にビリビリと刺激が走った。4時間近く海に顔を突っ込んで泳いでいたため、背中が集中的に日焼けし、火傷に近い状態になっていたのだ。
 いてて‥と身体を起こし、砂まみれの手を眺めてさらに驚いた。手がふやけて、しわっしわになっているではないか。まるで泳いでいる間におばあちゃんになってしまったかのよう。プールで泳いでもここまで手がふやけたことはなかったため、戻るのかと不安になった。そしてその瞬間にこう思った。
(あ、わたし、まるで浦島太郎みたい)


渡嘉敷島で3時間半泳いだあとの手のひら

作者の出身に対する考察

 もし、浦島太郎の物語が生まれたきっかけがこのような出来事だったとしたら。部屋に戻ってシャワーを浴びながら、私は浦島太郎の作者に対する想像を膨らませた。

 子供がいじめていた亀を助けたという始まり方と、玉手箱で年を取ってしまう描写からおそらく年代は16歳から30歳位の間。わざわざ驚きを物語にして伝える程に感動したのだから、作者は子供の頃から海に親しんできたのではなく、海のない山間で暮らしていて、大人になってから何らかのお使いなどで海辺に来たのだろう。そして初めて泳いだ海のその美しさに感動してしばらく水中に滞在し、私と同じような「潮汐で世界が変わってしまった感覚」「日焼けやふやけで皮膚が一気に年老いた感覚」を体験したのではないか。
 海辺の立派な旅館に数日間泊まり、素敵な女将さんに出会い抱いた淡い恋心と海の中での経験を合わせて物語にしたいのではないか。


生物地理学観点から舞台を考察する

 舞台となった場所はどこだろう。
 まずウミガメが出てくるけれど、ウミガメは海の中で交尾するため(これがまたアクロバティックでかっこいい!)大きくなってから砂浜に上がってくるのは産卵の時のみのはず。人が乗れるというとアカウミガメかアオウミガメかな。タイマイはちょっと小さいし甲羅の縁のぎざぎざが痛そうだ。(オサガメはあまりにレアなので一旦除外。)そしてその産卵地を考えると、中部地方以南ではないだろうか。

 次に重要になってくるのは歌の中にでてくる「鯛や平目の舞い」というキーワード。これはどうも九州以南ではなさそうだ。なぜなら、九州以南の海の中は彩り豊かな熱帯魚が主流となり、鯛や平目の舞いではなく「夢かと思うような彩り豊かな魚たちの舞い」になるのでは、と思ったからだ。

 また「竜宮城」という城がでてくるが、何故か私はこの響きに大きなエビを想像する。竜といえばその長い体の様子から、ウミヘビやウツボを想像するかもしれないが、彼らはなんというか⋯そんなにかっこよくはない(すまん)。どちらかというと、ごつごつ鎧をまとったようなたくましい身体、思いのほか長い胴体、立派でフェンシングの剣のように細長いヒゲ。それらを兼ね備えた伊勢海老などの大きなエビたちを思い浮かべてしまう。加えて、そういった大きなエビたちが住んでいるのはゴツゴツした岩の隙間で、まるで立派なお城のように私には見えるのだ。もちろん絵にもかけない美しさ、という描写から、色とりどりの珊瑚の海であることは間違いないだろう。
(この海の中の様子は、その後私が日本中の海に潜って得た知識も踏まえて書いています。)

 カメが産卵に来て、美しい珊瑚もありつつ鯛や平目、伊勢海老がいる。ご馳走、旨い魚⋯海のない山間にも続いている⋯紀伊半島から四国あたりではなかろうか。となると、産卵地から辿ってカメはおそらくアカウミガメだろう。アオウメガメの産卵地のメインは小笠原諸島や沖縄方面である。

 私が昔持っていた浦島太郎の絵本には、最後に鶴が飛ぶ描写が出てきたが、それがもし後付けでなければその鶴はコウノトリ、マナヅル、ナベヅルのどれかであろう。日本の古典で出てくる鶴はこの辺りを指すことは様々な文献により確かである。日本人がイメージする鶴であろうタンチョウは北海道にしかいない。ナマヅル、ナベヅルは中部にも飛来するけれど彼らは冬鳥。10月頃に渡ってきて日本で越冬する。太郎は海で泳いだと仮定すると、長く泳げるのは夏、となるとツルの正体は留鳥であるコウノトリの可能性が高い。

 と言った具合に描写や出てくる生き物から舞台を想像し、今度は舞台から出てくる生き物の種を絞り込む遊びをして楽しんだ。

結論

 ということで、私の知っている浦島太郎は山間に住む青年が、紀伊半島から四国などの海を初めて訪れて、珊瑚の海と海鮮の美味しさ、旅館の女将さんに心を奪われた。登場する生き物の種はアカウミガメとコウノトリ、もしかしたらイセエビなどという結論に達しました。
 民俗学の方の見解などは参考にしていないのでこれはあくまで私独自の見解です。こうやって、昔話について生物地理学的観点から考察することも生き物好きの楽しみのひとつです。

おしまい

本日のお気に入りNo.3

台湾の夜市屋台で買ったウミガメのペーパーウェイト


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