乳がんになってしまった話③(生検に至るまで)

思いがけないタイミングで癌が発見されてしまいました。

まぁ、「私癌かも?」なんて思って生きてい人なんてほとんどいないですよね~w

急に告知され怒涛の闘病生活入りした私の、
当時の様子を思い出しながら書きます。
私の体験が、少しでも誰かの助けになればと思います。


日赤受診

地域の乳腺科病院から紹介状を書いてもらって一週間後、
紹介状と検査の資料を持って日赤病院に受診しました。

初診ということもあり、なかなかの待ち時間で3時間待ちでした。

診察室に入り結果を見てもらうと
『ガンだと覚悟しておいてください』と一言

前の病院からそのつもりで検査をしていたので
そんなにショックではありませんでしたw

エコー&生検

一週間後エコーをしました。

やっぱり影が怪しいので生検するとのこと。

前回よりも本格的に細胞を取るそうで、
先生曰く「ミミズみたい」にとるそうですww

5回バチンバチンを針でブツ切っているのが
麻酔をしていても痛すぎて悶絶でした。

--------------------------------------------------------------------------

検査結果&ショックな告知

生検から1週間後

『乳ガンと病名がつきました』との告知を受けました。

やっぱりなという気持ちが強くその時はあまり動じませんでした。

今後治療にうつるための検査をしていくとのことで
CT、MRIの予約をいれてもらい
当日は肺のレントゲンと肺活量の検査を受けました


--------------------------------------------------------------------------

乳がん患者専門看護師と面談

乳がん患者専門看護師さんという方と別室で面談し
治療の今後の流れなどを説明してもらいました。

この看護師さんはガン患者の心のケア―をする専門看護師さんで
気になること、困ったことは何でも言ってねと言われました。

結婚を控えていて、子供を望んでいることを伝えましたが、
今は初期とはいえ治療に専念したほうが良いと

治療は大体5年、当時33歳だったが治療が終わるころ40歳前
薬が抜けるのを待ってからのチャレンジは厳しいかもしれないこと

どうしてもという場合は、卵子の保管するということもあるが、確実ではない、期待をしないほうが良いこと

主に子供について相談させてもらいました。

結果希望を持たないほうがいいといわれました。

癌になったことより子供を望めないことに大きなショックを受け初めて人前で泣いた日でした。

--------------------------------------------------------------------------

CT&MRI&ベッド空き待ち

ぴぃちゃんに引っかかれて婦人科に受診してから一か月

日赤に転院してから2週間ほどでもう検査最終段階のCT、MRIまでたどり着いていました。

病名が付き、検査も準備万端でしたがベッドが空かない。

ベッドが空き次第手術の日程を組まれるとのことで、
検査と並行して仕事の引継ぎも行っていました。

結局予定が決まったのは8月の末
9月の中旬にベッドが空いたのでと電話連絡が入りました。

検査がトントン拍子に行っていただけに
日程がなかなか決まらないでソワソワでしたw

ほんと早く手術してほしかったww


---------------------------------------------------------------------------

おわりに

こんな感じの流れで、初めての手術は検査を重ね9月中旬に手術を迎えることになりました。

今は流れしか書いていませんが、徐々にその時の心境や、困っていたこと、こうしておけばよかった、これをしてよかった、いろいろ書きたい細かいことがあります。

少しずつ記事を増やしリンクしていきたいと思っていますので
またよろしければ見に来てください。

最後まで読んでくださってありがとうございました


いいなと思ったら応援しよう!