言葉にしてみる。
藤本遼さんが主催する「場づくりという冒険」に参加している。
その中で、参加者の方と遼さんとの放課後タイムにお話したことを書き留めておきたい。
自分は何がやりたい?本当はどうしたい?
今までずっと問い続けてきた。いつも答えが見つからず、う~ん。と悩み続けてきた。
なんでだろう、なんで自分のことなのに分からないのだろうと。
でも、自分だけを見つめるのではなく、「誰かの願い・想いへの共感から見えることがある」のだと知った。
物事に対して、「ふ~ん」と流してしまう出来事と、「めちゃくちゃいい!」って思うことの違いは過去の経験・体験に紐づいていることから生まれ、その出来事の関係性を深掘ることで見えるものがある。
「めちゃくちゃいい!!!」ってなるものってなんだ?なんでそう思うんだろう。そう思うものの共通点は?
逆に「ふ~ん」って流してしまう事ってなんだ?
って関係性を紐づけることで、自分を多面的、多角的に見えるようになる。
自分のことは自分が1番知っているようで1番わからないからこそ、
自分だけで解決しようとせず、ほかの人の想いにどう感じるかで自分を見つめてみようと思う。
相手への投げかけも、「どうしたい?」って大きなものを投げるのではなく、誰かの想いに対してどう感じる?って少し視点を変えて質問を投げかけてみよう。大きな発見でした。
問い続けるということ。
問うとは、「手放さない」「忘れた・知らない」で終わらせないこと。
手放さなず、頭に残し続けてふとした疑問ときに取り出してきて、他の人との対話で深めていく。
そこに、答えなんてなくて、日々変わる自らの思考と、他の人の思考を組み合わせたり、その意見を聞いて自らで考えたり、その変化を楽しむことだと思う。
その時の答えは、いつもきっと違う。違うからこそ面白い。
揺らぎ。
答えなんてなくていい。
自分の想いやほかの人の意見に揺らぎをかける。
言葉に出来ることと出来ないことをそのままで終わらせず、常に揺さぶりをかけてみる。感情と言語化のどちらかだけに振れるのではなく、揺らぎの中に見えてくるもの、揺らぎを感じることで本質が見えてくるのかもしれない。
固有名詞が語れると面白い。
経験したことと、思考した言葉の質は全然ちがう。
経験するからこそ、伝えられる言葉がある。具体的な話ができるかどうかで
固有名詞が増えると話がイメージしやすく人への心へストレートに響く。
その積み上げが人の共感を生み、人を巻き込んでいく技術なんだと思う。
悩む=動きが止まり、思考だけが深まる状態
考える=動いて発信して形にしてみる状態
どんな状態も最後がきっと笑えるから、どんどん動いて、経験して固有名詞をたくさん語れるようになろう。
本質ってなんだ。
本質ってみえないから、見えるものに気をかけだしたらアウトだね。
遼さんが話してくれた枚方市の「ひらつー通信」の話。
ローカルメディアで月300万viewがあるものらしい。
その編集長さんがお話されてた「300万viewになるのがいいのでなく、ひらつーで家族の会話が増えた!というほうが価値。人の生活が変わったり豊かになるかどうか」に軸をおいてされている。これこそ本質だなと思う。目には見えずらいけど、それがだいじ。大きくなると、もっともっと!って目が行きがちだけど、本当に大切にしたいものを大切に出来ているかを時々ちゃんと見返すことってだいじ。
生きる意味。
遼さんが言ってた「何かを成し遂げた!」とか「組織・事業を残した」じゃなくて、哲学やスタンスを残したい。純粋にかっこいい。そんな風に考えたこともなかった。
すべて評価されるのは結果だと思ってきたから。
どんな視野・視座があり、どんなストーリーがあるのか、どんな願いや想いがあるのか。目に見えるものだけではなく、目に見えないものをもっともっと深めていきたい。
言語化するって難しいからちょっとずつやっていこうと思います。
2020年の1つの挑戦。
いがきともこ