ピュロン
ギリシアのエリス出身
元々は画家、デモクリトスの著作を読んだことにより哲学者に転身
アレクサンドロス大王の東方遠征についていき
インドやペルシャの東洋哲学を学ぶ
プロタゴラスに始まる相対主義をベースに
『物事の本質は本当に知ることができるのか』を考え
結論として『知ることはできない』と捉えた
懐疑主義
それまでのギリシアにおいては何かの命題に対して
『〇〇は××である』
という答えを追い求めていた傾向
しかし、何かの主張には必ず対立する主張が存在
ならばそもそもたった一つの本質なんて知り得ないのではないか
絶対と思われていた理性すらも、実は習慣に縛られている
演繹法の場合
正しい理論を0から積み上げていき真実にたどり着こうとするが
その積み上げている正しい理論自体が習慣に縛られていて
正しいという保証はどこにもない
帰納法の場合は観察によって真実にたどり着こうとするが
観察自体が感覚の賜物なので、万人に共通する答えが見つかるとは思えない
人間が相対的な考え方をする生き物である以上
物事の本質(真理)は知ることができない
幸福を追求するための3つの着目点
① 物事の本質は何か
② その物事に対して我々はどのような状態にあるか
③ その状態から我々は何を受け取れるか
物事の本質については知りようがないのだから
それについては考える必要がない
→これを判断の中止【エポケー】と呼ぶ
何事も知ることができない世界において
物事への適切な態度は『考えることをやめること』
『物事の本質とは何か』という
知りようがないものについての思考を止めることによって
無駄なことに思い悩むことがなくなり
乱されない心【アタラクシア】を手に入れることができ、
それが幸せな人生に繋がると主張
主にプラトンの作ったアカデメイア内で強烈に支持され
それがのちのキリスト教哲学者のアウグスティヌスへと影響を与え
デカルト懐疑論にまで繋がっている
以前の哲学は『前に主張されたものの否定』によって成り立っていたが、
ピュロンはもっと俯瞰した立場から
『それまでに行われてきた哲学の営みそのものの否定』