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ルドルフ2世の話

16世紀の神聖ローマ帝国の皇帝・ルドルフ2世

オーストリア生まれの彼だが、スペイン人の母の影響で幼少期はスペインの宮殿で過ごした。

彼が生まれたのは、ちょうど大航海時代の、かの有名なマゼランが世界一周を果たした1521年から30年後だった。そのころのスペインは、新世界からの物資交易で栄えていた。

見たことのない動物・草花・芸術・食物・異国文化

幼いルドルフ少年は、叔父が新世界から持ってくるそれらが大好きで、強い強い憧れを持っていた。

そんな少年も大人になり、ついに皇帝となる順番がまわってくる。彼は、政治があまり得意ではなかった。そしてスペインの重く固い敷きたりに、うんざりしていた。

彼は、神聖ローマ帝国の首都をチェコのプラハに移した。

弟に政治を任せ、プラハに有名な科学者・天文学者・錬金術師・芸術家・画家などを集め、爵位を与え、街から宮殿までの道に芸術家ロードなるものをつくり、チェコの芸術発展に大きく貢献した。

もちろん、統治者としては最低の評価を受けながらも芸術家の間では、あんなに素晴らしい君主は他にいないと言われた。

芸術家達は、みなルドルフ2世が大好きだった。

その証拠に、新世界の食物で構成されたルドルフ2世の肖像画や、世界中の動物がひとつの庭に会する絵画、様々な季節と国の花が、ひとつの花瓶に入っている絵画など、この時代のものは、新世界の流れを組むユニークなものばかりである。

ルドルフ少年が憧れた景色そのものとも呼べる芸術の数々は、今でもプラハ人の誇りとなっている。

そんな皇帝が1人くらいいても良いのではないか。わたしは、そんな稀有で少年のような皇帝を愛しく思う。

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