善悪の基準について
とあるお方が命を絶ってしまったらしい。わたしはその番組を見ていないし本業の場も見ていないので、そのお方のことを初めて知った。
何かをきっかけで人間が発言をすることって今まででもよくあって、それが知り合いだろうが赤の他人だろうが、みんな自分と絡めたことを綴ったり意見を述べたりする。そのトピックが起こる前はそんなこと何も発言していなかったのに、ひとつの事柄を機にこぞって人々が発言する。教訓となるのかな。こんなことを言うと志村けんさんの時みたいにそんなことで学習するなと言われそうだが。
あくまでこれもひとりの意見としてただただ言葉の整理場としてきいてほしい。
戦争の時代は、人間を殺すことが正だった。敵を殺せば殺すほどきっと出世できたのであろう。まあ"敵"であるという条件はあるが。
にっくき原爆。日本人というだけで罪のない人々が多く殺された。殺した人はきっと自国では英雄になったであろう。
切腹。自分で腹を切る侍は、責任を取らなければいけない場面だとしても、最期に相手に対し、己の勇敢さをアピールできたであろう。
現在?
人を殺すことが正義だという考え方は、世界的にも変化した。人を殺めること=悪 だ。
今回のことも人が死んだので、そのこと自体が良くないこと、悪だ。
誰がどう見たってSNSに殺された
そう感じるであろう。
だから、ネットは気をつけようね。見えないチカラって怖いよね。軽い気持ちだったのに。という話に繋がるのだが、
未来、
もしかしたら人を殺めることがまた正義になるかもしれない。(そんなことにはならないと信じているが)
そのとき、きっと特に代償も払わず、指先だけの動きで人間を殺した人々は、英雄になるであろう。
そう、今の時代では殺しは悪。
善悪って、
その時々の時代や環境で変わるよね。
というお話。
今回のエピソードについては何の意見も発していないです。悪しからず。
おしまい
ぴえろくん。 #2