ブランコの数
幼い頃から、ブランコが好きだった。
人見知りが激しかった私は、公園に行っても1人でブランコに乗ることぐらいしかできることがなかった。
それは幼稚園の園庭でも、小学校の中庭でも、放課後の児童館でも同じだった。
ずっと、1人でブランコに乗っていた。
1人でいるのが恥ずかしくて、でもブランコに乗っている人は誰でも1人だから、ブランコに乗っていれば守られる気がして。
誰かが隣のブランコに乗ろうとしてやってくるまで、いつまでも1人で漕いでいた。
1人でいる理由があるような顔をして、1人でしかいられない自分を隠していた。
ずっと、独りでブランコに乗っていた。
中学生になっても、高校生になっても、私は私だった。
1人はずっと、独りだったし、それはブランコに乗らなくなっても変わらなかった。
ブランコに乗らなくなった私は、1人でいる理由があるような顔ができなくなった。
ただの独りになってしまった。
ある日、その日は学校が早く終わる日だった。
幼稚園生もまだ帰宅時間にならないような、昼過ぎ。
何となくそんな気になって、幼少期に毎日通った公園に足を向けた。
鞄をベンチに置くと、誰もいない公園で息を目一杯吸い込んだ。
自分の知っている遊具だけれど、少し劣化が進んでいるようだ。
所々塗装が剥げ、錆びが目立った。
ブランコに座ると、思っていたよりも座面が低い。
自分の体の成長を感じながら、ゆっくり漕ぎ始めた。
10分ほど、そうしていたのだろうか。
道の向こう側から、市内にあるもう一つの高校のブレザーが歩いてくる。
途端1人でブランコに乗っていたのが恥ずかしくなった私は、慌てて飛び降りると鞄を持って公園を出ようとした。
「ブランコ、好きなの?」
彼はそう尋ねた。
声をかけられるのは想定外にも程があって、一瞬自分に話しかけられているのかわからない。
だけど、確かに真っ直ぐ私の目を覗く双眼があった。
声も出せずにただ頷く私に、彼は少し微笑んで続けた。
好きならもっと乗って行きなよ、と。
何となく断ることもできず、ブランコに蜻蛉返りをした。
この小さな公園に、出入り口が1つしかないことを恨んだ。
彼と並んでブランコを漕いだ。
彼は語った。
ブランコが好きなのだと。
誰もいない昼下がり、授業を抜け出して、或いは仮病で早退して、ここに来るのだと。
高く高く漕ぎながら、そう語った。
この公園は質素なもので、ブランコと砂場と、そしてシーソーしかない。
あとは品揃えが悪く、年中冷た〜いしか販売しない自販機と、申し訳程度に設置された小さなトイレ。
公園、というものの基準を作るならまさしく最低限とも言える場所だ。
だけど、彼と会ってブランコを漕ぐだけならそれらは充分すぎた。
私たちは自然と、週に1、2回公園で会うようになった。
ブランコに乗って、私は大抵座ったままだけれど、彼は高く漕いで。
いろんな話をして、私は大抵黙ったままだけれど、彼は思考を語って。
ある日彼は、ブランコは1人でいいからいいね、と言った。
シーソーを眺めながら、僕は2人で乗るシーソーは好きじゃないとも言った。
シーソーは2人で空気を読んで、或いは空気を読まなくても息が合うような関係なら、楽しめるものだからさ。
ブランコは、1人で楽しめるからいいね。孤独の独の方の、あの、分かるよね?独立の独ね。そっちの独りでもいいからいいね、と言った。
ブランコに乗りながら、器用に片手を離して、空に"独"と長い指を滑らせた。
私はいつも聞き役だったけれど、この言葉だけにはそうだね、と返してしまった。
彼は私が声を上げたことに驚いた様子だったけど、少し私をみて納得したようにまたブランコを漕ぎ始めた。
でも、ブランコって大抵2つ並んでるからさ、小さい子が隣来たりするとちょっとその親御さんと気まずくてブランコ降りて、学校戻るんだよな、と笑っていた。
彼はブランコへの文句を言いながらも、嬉しそうにしていた。
私は、独りじゃなかった。
独りが2人いて、ふたりだった。
もう少し、彼とここでブランコを漕ぐ日が増えたら、言おうと思う。
ブランコが1つじゃなくて、2つ並んでいる理由がわかったよ、と。