演劇で稼ぐ。 〜表現の自由×責任=祭事or教養〜
※憤りを持った文章なので気分を害されたくない方は読まないでください。
世界の真実とこれからの演劇、芸道の本質の未来を本気で考えている方はぜひ読んでいただけたら幸いです。
演劇の行き過ぎた興行化と扱う題材について考えました。
表現の自由は憲法で認められています。
ですが、手軽に自由に表現・発信できる時代になったからこそ、作り手の責任について考えるべきだと思います。
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先日観劇した公演について。知り合いが出演しているのでその勇姿を観るため、とある劇場へ。
話の中で、作品のテーマ性をよりドラマにするための事件として作中の人物が(ファンタジーではなく)幼児退行してしまうという病気(?)にかかる。
しかし、幼児退行化した役者の演技(身体的なもの)がどうしても観ていて信じられないのだ。端的に下手。
明らかに「演技してます!」みたいな感じで本当に死ぬ気で稽古したのかという疑問。
通常、このような場合は病気を調べるだけでなく、想像で演技するのではなく、研究し身体の使い方を本物のように見せるため、絶え間ない努力が必要である。
観客からお金を貰い自分の芸(演技)で稼ぐならこんな事は当たり前。
例えば、自分が過去に関わった芝居で美容師の役があった。作中実際に髪をセットする動きもあった。
その役を演じた役者は美容師に通い詰め、徹底的にその身体的動きや、美容師の心構え等内面的にも特権的肉体にするため、先生に教わりながら、毎日泣きながら稽古していた。
ハサミやカール等必要な道具を自宅に持ち帰り寝る間を惜しみ何度も何度も繰り返し稽古した。
作品の内容的に、また内面的な問題でも現代の都会の美容師と田舎の個人経営しているベテランの美容師では全く違う。
その役を本物にするためには少なくとも200回の訓練が必要なのです。講師をしている立場として、生徒には言い聞かせています。
こんな事、役者である以上当たり前。
その芝居が嘘になるのであれば演出が指導するべきであるし、出来ないのであれば役を降ろす事も考えなければならない。役者の演技にも責任を持つのが演出家の仕事である。
こんな当たり前のことが小劇場の世界でまかり通っていて、それでいて近年観劇のための値段が上がっているのが事実。
しかも、その演技でチケット代以上の、所謂「投げ銭」システムを導入していた。
演劇で食っていくのは困難なため、値上がりや投げ銭(後払い)システムを導入するのは理解できる。
だけど、そのシステムや経営を意識しすぎていて本来のクオリティに掛けるはずの時間と労力の手間を掛けていないのがバレバレである。客を食い物にしている。
同じ作りとしては、作品のクオリティに対して「手抜き」しているようにしか思えない。
観客を騙し、馬鹿にしている行為としてしか思えない。
…ここまで書いているが、これだけではなく本当に憤りを感じているのはここからである。
自分が久し振りに激しい憤りを感じた問題は、大人が幼退行してしまうような、または植物人間等の病気や不幸を、こんな手抜きな芝居で、しかもお金を取るような「自分たちの都合」しか考えていないこの座組み一同の責任の無さ、手抜きさ、いい加減な作品作りである。
例えば、自分の身近に人、大切な人が突然病気になったり、不幸が訪れて、まともに会話も出来ないような状態になったとする。
もしくは、親戚や友達、身近な人にそのような不幸にあった人も世の中にはいる。
そんな人がこの芝居の、役者の演技、演出、脚本を見た時にどう思うのだろうか。
幸い自分にはそのような人は周りにはいないが、誰が見てもあの役者の演技は人の不幸を馬鹿にしているようにしか見えない。
作り手側は、もし、このような大切な人が自分の周りにいて、この演技を見た時に何と思うのか想像しなかったのだろうか。
しかも、そのような状況設定を作った脚本、演出、物語を承認した企画側は自分たちが稼ぐために売り物にしている。
まるで自分たちが被害者のように、人間の不幸を食い物にしているのだ。
本当に役者として食っていきたいのか。そんな手抜きな作り方で。
ここに資本主義(評価経済)の闇と現実を感じました。
想像力のない今回の座組みは、実際にこのような状態になった人の心の内側を想像する力はないのだろうか。
少なくとも、収益の一部を医療機関や支援団体に寄付するような事は考えなかったのか。
詳細は割愛するが、まだ記憶に新しい「京都アニメーション放火殺人事件」の被害者を実名報道した問題。
被害者の遺族の方々も酷く傷付いている。
メディアと報道に対する事を日本人は考えはずである。
演劇はメディアであり報道です。少なくとも、その機能を持ち合わせている表現手段です。
今後、このような想像力がない、自分たちの経済的自立しか考えていない、社会にとって意味がないものがまかり通るようであれば、そこには文化的退廃が起き、無機質な、資本格差がある、デジタル脳を手に入れた無機質な人間、とAIしかいない世界が残るだろう。
演技が下手なのは百歩譲って仕方ない。だが、人の心を持たない作り手が、資本主義という名の宗教に洗脳されている人間が、このようなものを作って観客を洗脳させていると考えると呆れてしまいます。
資本主義は欲望を承認する宗教である。
その結果、欲望を満たすのに止まらないモンスターの誕生。この国と文化、秩序までもを食い散らかしている。
欲望が決壊すると、人格までもが破壊される。
こんな世の中、果たして幸せですか?
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