アーティストと吉本隆明の親和性

俳優の役作りとして
1.自分と繋がる2.相手と繋がる3.全体と繋がる
と段階を踏みます。
これは吉本孝明の共同幻想論に於ける
1.自己幻想2.対幻想3.共同幻想
と同じ。

現在、稽古場ではかもめの稽古をしている鎌、現場で役者の演技を見ながらどこかで引っかかってあるところがある。カタルシスが起きない。その原因と考察を考えながら、頭に思い浮かんだものを書いていきます。

SNSが自己承認欲求を増幅させ、自分の物語を語ることに快感を見出すことにより理性が崩壊し、他人の物語を表現できることができなくなってしまっている。もう動き出した歯車は止められず。西海岸の天才によって生み出された画期的なシステムはただの欲望を満たす装置になった。

演劇には救いと弊害、両方の現象が起きた。
資本主義社会から評価経済主義社会になっているこの日本では実に相性がいい装置である。現に主宰として宣伝しなきゃいけない立場なので1日に何回もスマホアプリを起動してチェックする必要がある。これが習慣化してしまったのが恐ろしい。

アーティストの1番の仕事は他人の物語を表現することである。仕事の相性が実に悪い。特に自分でSNSを使ってマネージメントしなければならないフリーランスは強靭な精神力がなければ難しいだろう。アメリカでは役者はエージェントと契約するが、日本は文化予算がないため、国からの援助は演劇の場合は極端に少ない。そもそもの国内総生産が大きい日本のマーケットではなんとか成り立っているが、それも限界は来る。資金面の問題で才能あるものがアーティスト活動を出来ずにいる。

講師をやっている立場として、演劇を志す若者と触れる機会が多いが、やはり自分達とひとまわり離れた世代とは価値観が異なり、それを実感するケースが多々ある。
何をやっても役には見えず、役者が見えてしまう。
特に若い役者に於いて、一度役を突き詰めてから役者(自己)の殻を破ることにより、役と同化していくことが可能になる。ただし、他人の物語を感受できる共感能力がなく(アダルトチルドレン)、他人の物語を消費することよりも自分の物語を語ることの方が満足いく世代である。そりゃ2.5次元が流行るわけだ。

アーティストは他人の物語(フィクション)の中に自分の物語を投影して、苦しみを乗り越えて同化していくものである。そのためにはアーティスト自身が実人生の中で苦しみを経験しなければ役の苦しみ(障害)も感受できない。演技の授業を通してその心技体を会得していくことが必要なのだが、市場では即戦力が求められている。そのため、何も知らずに現場に出て使い尽くされ、また新しいものがすぐに出てくるという加速されたサイクルが止まらない。

SNSでのコミュニケーション(共同幻想)は「いま、ここ」の世界ではなく、独特の空気感に包まれた「ここではない、どこか」に連れてってくれる。

その世界から一歩引いて、対幻想の中に、手の届くところに「愛」を与えるのが良いコミュニティを築くために必要だが、最近はそうでもない気がする。
まずは自己幻想の中で自分を愛することが求められる。そこから自立への一歩が始まるのではないだろうか。

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