先を考えない人 - 最近何をしたか 4/17-4/27
先を考えない人
人のことを馬鹿と言うと最低なのだろうか、たしかにそうかも。そんなこと別に言われても気にならない私はどちらにしても最低人間でクズなんだろう。コレクトネスが足りない。だから近い人間に馬鹿な人間のことを馬鹿と表現してしまう。その近い人間はある程度私を知ってくれてると思うからだ。しかし世の中そんなにうまくはいかない。どちらかというとそのコレクトネスはポリティカルなものだとも思っていた。
伝えたい本質ではなくても人を馬鹿にするという言葉が口から吐き出されただけでジャッジメントが行われる。そのジャッジメントとはギルティだ。確かにそのリスクはあるだろう。私の本意とは別にその時点で罪を犯しているということ。その断罪をする人の多くは人を馬鹿にするのは最低で、馬鹿だとしても何も言わず暖かく見守ってやろうという人だ。もちろん程度にもよるが、冷静、いや冷酷な私にはそんな暖かい選択肢はない。その個人を馬鹿にしているわけではないが、その思考や考察が馬鹿げていて、それを振りかざしていることに馬鹿と言うのだ。優しく見守って馬鹿を放置すればいい未来なのか。刺激的な言葉を使ってでもそのことを考えてほしい。それをその表現でする私は最低人間のクズだろう。それは自覚している。しかしどこまで馬鹿を放置して優しく暖かく包んでやればいいのか。その先にどんないいことがあるのだろうか。私は馬鹿だと言われてもあまりなにも感じない。しかしその原因をなぜだと考えはする。そしてそのそしりが正当なものか間違っているものか確かめようとする。それでいいと思ってる。確かに私のやり方は最低人間のクズなものだろう、しかし大人であるどこかしらの相手に対してずっと幼児のように暖かく接し続けることはできない。しかもそれはその個人に直接言っているわけでもない。間違ったことをする人は馬鹿だねと言っているだけ。
まあそんなことをいう私は褒められたことではないけどね。だが、いつまでもどこまでもポリティカルコレクトネスだな。飼いならされたいい世界。ポリティカルに支配され感情的に善悪を判断するの。まあ私のような汚いクズよりもいいか。ここは世界の中でも民度が高いらしく、しかもキレイな国だからね。
朗読を
この詩のようなものを、坂本龍一とカクトウギセッションのニューロニアンネットワークを流しながら朗読したい。音楽の著作権あるから無理だけど、細野晴臣さんの曲に教授のピアノがとてもいい。美しく繊細でこころをくすぐる。そしてそのピアノはこころに染み入り情緒的だ。ユキヒロさんのドラムとシンセドラムがリズムを刻むとそこはもう広大で美しく大切なインナースペースだから。
不具合の事象
実際はTWSばかりではなく左右有線のBluetoothイヤフォンも好きだ。外出用には少し線がまどろっこしい気もするが、それはイヤフォン用のワイヤークリップでどうにかなっている。家で使う分には寝たりしてるので気にならない。家でTWSを使う場合は横向きに寝ると不具合が出る。その大きさ、タッチの誤動作など。だからこの不運は残念だ、そして今は家でもTWSを使ってる。この不具合の事象は本当に不運なのか?まだ思っている。
戯れか
自分を支えていくために、人を支えられたらどんなにいいだろう。それに届くようにするために吐き出す炎、それには心肺機能が重要だから。だから繰り返している。好むものがやってきて、バラ色世界もあるのかも、だから、いつもアレコレ求めている。ないものねだりも知ってるから。だから道化がお似合いさ。