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街の選曲家#Z1ZZ1Z

歩いていた。寒い中をただ歩く。それが制限付きサブスクリプションを使い始めた頃だった。今になってもその光景を、その行動を思い出す。自業自得の後に体調を崩し体は爆発しかけていた、その直前で入院することになったが、もうそこが最後でもおかしくはなかった...らしい。本人は至って普段通り、寝ている場所がICUなだけで、ちゃんと受け答えもして、少し休んでいるだけ、いつものように体調が少し悪いだけだと思っていた。だが実際は意志の疎通も満足にはできておらず、今でも自分ではにわかには信じられないのだが、生へのパワーは風前の灯だったようだ。

その後も何度も入院したが、スマートフォンなどのガジェットがあるので音楽は聞けた。元気なのに長期入院などの時はPCを持ち込んでいたりもした。病気と医者の存在が、それまでよりも、より能動的に歩くことにつながり、プレイリストにも通じた。元々から歩く人間ではあったが、体を意識するということはなく、当たり前としてただ歩くだけだった。しかしそれらの頃と大きく違うのは一定以上の曲を聞きながら歩けることだ。私はMP3プレイヤーと呼ばれていたDAPの黎明期から使っているが、それ以前から考えれば大きく進歩した。さらに今ではネット越しに音楽だけではなく様々なリアルタイムの情報も得ることができる。時代で大きく変わった。だが、やはり一番は音楽だ。体調や物事の進歩は変わるが音楽は変わらない。それをいつも感じている。

Let's Groove - Earth, Wind & Fire

最初にMTVなどのビデオで見て聞いたときに驚いた、イントロから始まりいつのまにかベースに変わっているヴォコーダーのリフ、それが耳に入ってきたからだ。そのサウンドは基本的には曲を通して流れ、最初から耳を、脳を奪ってしまう。そして曲自体もそうだが、やっぱりビデオがすごく印象に残っている。カッコいいということではなく、実はなんだかダサいような、しかしそれらを超越したなにかを感じずにはいられない、そういう不思議なミュージックビデオだった。それは曲が素晴らしいというのもあるが、どうしてもチープに見えてしまうビデオエフェクトの中で、未来か過去か分からない上に、かなりラメ色の濃い衣装を纏ったメンバーが独特のステップを踏み、歌いながらやってくるという映像に度肝を抜かれたのだ。そしてメンバー全員が楽しそうにプレイやダンスしていて、その何とも言えない幸福感を感じるのも素晴らしかった。だがダサい。このギャップに驚き、感激した。当時の深夜のMTV系番組で見たのだろうが細かくは憶えてない。それがどらくらいの時期だったのかも憶えてないが、私はYMOを好きで、ヴォコーダー的にもビデオエフェクト的にも親和性はあった。

その曲をサブスクで発見したら聞きたくなる。簡単にプレイリストが作れる時代には、このようなキャッチーな曲はプレイリストのどこにでも必要だろう、ということでベスト盤をじっくりと聞いた。その時にはアースウィンドアンドファイヤのアルバムはかなり揃っていて、天空の女神も存在したが、とりあえずベスト盤を何度も聞いた。やはりSeptemberが有名だが、このディスコでファンクでゴージャスなLet's Grooveをプレイリストのに入れたい、という欲求が大きくなる、そして時代や記憶も含めやっぱりLet's Grooveが好きだなと思い、プレイリストに入れた。最初はこれしかない。この曲にはいきなりディスコ感、ファンク感が満載で、ヴォコーダーがありつつもファンクっぽいホーンセクションの素晴らしい音も存在する。ドラムはワイドな雰囲気で音も広く感じられ、ベースは基本的に最初のヴォコーダーの特徴的なリフが続くシンセベースにも聞こえるようなエレキベースで、そのリフ以降も堅実でいい。いくらかの音以外はシンプルなようでいて、様々な音が散りばめられている。その音の厚さや深さを感じ、ボーカルやコーラスが一体となって盛り上がる曲。その濃度があるのにも関わらずスッキリとまとまっていて大好きな曲だ。


Road to Nowhere - 福富幸宏

福富幸宏さんといえば、あちこちで目にするものの、どちらかというと裏方的な人と思っていた。しかしある日のこと、ふとサブスクリプションのリコメンドにてアルバムを発見してしまい、そして少し聞いてみたらとても好きな感じだったので一通り聞いた。そして存外気に入り、それからその頃の聞くローテーションに入れた。なぜ存外なのかといえば、名前は何度も目にしている福富さんだったが、実際裏方でしか認識していなかったし、私の近い場所というイメージも少なかったからだ。しかし聞いてみると私にとって突出したアルバムというわけではないが、いつでも聞いていられ、いつもそこにあるというような感覚の、私の回りにいつでも漂っていてほしいような優れたアルバムだった。だから繰り返し聞きくのは必然だった、そして繰り返し聞けばプレイリストにも入れるだろう、ということでプレイリストの一角を占める曲になったのだ。

この曲はアクティブで衝動を喚起、美しい、コントロールされている、などさまざまな形容ができる曲だと感じる。まず気に入ったのはリズムパターンの印象で、それだけでも耳に残り、脳にも響く。最初のメロディのシンセサウンドは私の琴線に触れることはないが、逆にそれがずっと流れるピアノとのコントラストを印象的に感じさせ、私にのこころにピアノを浮き上がらせ、私全体に沁みさせる仕掛けのようにも感じる。ベースも地道で重く響く。聞いていると私にはこの曲に生楽器の音はないのでは、としか思えず、福富幸宏さんはDTM的な手法ですべてを作っているのかなとも思ったりもした。だとすれば、アーティストとしては誰でもやってるのかもしれないが、自分の世界をDAWのようなツールですべて、すべて作っているのだろう。それは控えめに言っても最高で、それだけではなく完成したこの曲を聞けば才能にあふれていると感じられる。アーティストというものは誰でもそうなのかもしれないが、その最高の作品を、最高の恩恵として得られているのは嬉しいことだ。そんなことを考えた。この曲の有機的なメロディラインと、グルーヴのある意味無機質な部分が人間の私に沁みこみ、音楽という芸術に体を委ねさせるのだ。


イズ・ザット・オール・ゼア・イズ? - 由紀さおり、ピンク・マルティーニ

いつだったか由紀さおりさんのアルバム1969を歌謡曲などのリコメンドで発見した。いつものパターンだ。正確には憶えてないけどジャケットを見ても引き込まれるものもあり、とりあえずアルバムを通して聞いてみることにした。その時に思い題したことがある、それは由紀さおりさんのアルバムが海外チャートで一位を取っているという話しをどこかで読んだような記憶だった。詳しくは憶えてなく、そのチャートはサブスクリプションのチャートかもしれないが、事柄だけを憶えていて思い出した。実をいうと由紀さおりさんのことは昔はあまり好きではなかった。いや違う、ほとんど知らなかったというべきだろう。大ヒット曲の夜明けのスキャットは生まれているかどうかの時代だが、子供の頃からテレビでもラジオでも繰り返し聞きていた。しかし子供にはすぐには理解できない歌詞や、シンプルな曲だが大人のアレンジを分からないものという印象としてとらえたのだろう。特に子供には派手さが足りず、歌詞は一番はスキャットのみだし二番は完全に大人の世界であった。軽さは皆無なので、子供の頃にはもっさりとした曲だなと思っていた。大人になってからは由紀さおりさんはお姉さんと童謡を歌っているという印象が強く、私は歌謡曲が好きだが同じ歌謡曲でも好きとかの範疇になかったということだった。だからサブスクのリコメンドでジャケットはいいと思ったが、聞こうと思ったのはそれ以上の動機が必要だった。それは収録されている曲目に興味が湧いたからだ。

私の興味を惹いたのはブルー・ライト・ヨコハマ真夜中のボサ・ノバ、そしてMas Que Nadaのような楽曲だった。このような歌謡曲やボサノヴァを、共同制作者に連なっているピンク・マルティーニとどういう関係でつながり、どういうアルバムにしているのか、そこが気になった。自分の興味の範疇である歌謡曲やボサノヴァだからこそ聞きたいと思えた。そして聞きはじめたらとても落ち着けるようなアレンジで、歌謡曲を含むポピュラー音楽の王道とも言えるようなアルバムだった。ピンク・マルティーニのジャズな雰囲気が根底にあり、歌謡曲であるのにも関わらず、さまざま面が感じられる。そういうアルバムだった。どの曲も素晴らしかったし、私独自の、同じ曲で最初に聞いたものがオリジナルであれカヴァーであれ、それ以降に聞いた曲は超えることができない、超えにくい、というインプリンティングの法則があるにしても、かなり好きな、とてもいい曲だ。そして中でも初めて聞いたこのイズ・ザット・オール・ゼア・イズ?という曲は私にとって新たにインプリンティングされた曲だ。それはアメリカのジャズボーカル風の曲で、しかも歌詞がまた面白い。ちゃんとした日本語訳になっていて、しかもその語りと歌を由紀さおりさんが素晴らしく歌い上げている。世界各国でチャートのトップという現実を知っていても、この曲を聞いたらそれが完全に裏付けされたような、そういう気持ちになる。後に聞いたペギーリーさんの原曲も素晴らしいのだが、私にとっては上記のインプリンティングの法則によって、この曲が一番だ。


冬のノフラージュ(NAUFRAGE EN HIVER) - MIKADO

ある時、利用していたサブスクにノン・スタンダードレーベルの楽曲が解禁されたのか、それまで気づいていなかったのか分からないが、MIKADOのことを思い出し検索していたら存在していて、MIKADOのアルバムMIKADOを発見したかと思ったら、それはMIKADO FOREVERというデラックス盤だった。アルバムのMIKADOは持っていて、とても気に入っているが例によってどこにあるかも分からず久しく聞いていない一枚で、早速アルバムをローテーションに入れてよく聞いた。そしてその後、好きだったこの冬のノフラージュをプレイリストに入れたということだ。ノン・スタンダードレーベルはもちろん細野さんの存在で知ったもので、テイチクに移籍するときにノン・スタンダードレーベルとモナドレーベルを設立した。モナドレーベルの意味は深いものだったらしいが、当時細野さんはリリースしたアルバムを観光音楽と言っていて、中には環境音楽っぽい楽曲もあり、今でいうアンビエントのようなものも含む世界だったのかなと思う。対してノン・スタンダードレーベルは細野さんの新バンドF.O.Eや、そのおかげで偶然デビューの12インチシングルを買ってずっと聞きつづけたPIZZICATO V、URBAN DANCEやSHI-SHONEN、WORLD STANDARDなど様々なアーティストに出会え、その中に海外アーティストのMIKADOもいたということだ。私の年齢や無知に与える影響もあっただろうが、ノン・スタンダードレーベルのアーティストについてはすべて羅列したいくらいの熱量がある。PIZZICATO Vに少し触れただけだが、本当にすべてのアーティスとに影響を受けた。だからこそMIKADO FOREVERは聞くしかなかったし、プレイリストにも入るのも当たり前だった。

MIKADOは北欧で有名だとか聞いていたが、このMIKADO FOREVERで追加された曲を聞くと、初期の頃の数個のプリセットだけのリズムボックスっぽい音を使っているミニマルだなと思え、しかしそこにあるものは単純ではなく、その中に心情的なものをとても感じてしまう。エレクトロポップの雰囲気を前面に出しているが、ニューウェイブ的な要素も感じないわけではなく、エレポップだけでなくフレンチポップとも呼べる。そこにあるのは心象風景のような、ちょっとした日常のように感じてしまう。私はフランス語が分からないのでただ感じるだけだが、それはそれで一つの受け止め方だ。この冬のノフラージュなどノンスタンダードのオリジナル盤に入ってる曲はそのミニマルでシンプルに聞こえる曲を少しゴージャスにアレンジたようなものだ。それは多分、細野さんのアレンジで、そのちょっとしただけのゴージャスさがMIKADOのミニマルさと合わさってとてもいい感じになっている。少なくとも私はそう感じるし、そう思われているのだろうとも思う。ノンスタンダードのオリジナル盤にはマリンバのような音色がいろいろな曲で印象的で、もちろんこの曲もそうだ。そういう考えるという楽しみも音楽にとってはいいものだなと再認識する。とにかくこの曲が好きで、聞くことにおける楽しみのひとつに受けとめるだけではなく、思考というものがあるということを感じる。



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