075_人生は勝ち負けではありません
「勝ち組・負け組」という言葉があります。人生に限らず、何事も勝敗で捉えてしまう人は多いと思います。例えば学業や集団内での力関係など。そうした意識が強い人は向上心や上昇志向があって、学校で良い結果を残す事も事実なのでしょう。
大学卒業、あるいは就活まではそれは悪い事ではありません。むしろ随分と奨励されてきた事だと思います。
しかし勝ち続けながら、それが自分にとって本当のベストなのか、分からなくなるケースがあります。
有名大学を出てこんな時代だからと公務員になったとします。親方日の丸であれば安泰だと思ってしまいますが、それと自身にあった職場環境であるかどうかは別問題です。
公務員試験に合格して採用されるという勝利があれば、そんな職場でも失望して転職という敗北もあります。どっちが勝利でどっちが敗北かはその人次第ですが、私の周りでは公務員を辞めたという話は珍しくありません。自分が精神的にも肉体的にも充実した健康的な生活を送ろうと思い、それを目指す事に特別な型はないのです。
例えばお笑い芸人をやっていて芽が出ず10年以上も下積みが続いている、お笑い志望を名乗っても実情はフリーターという人。こういう人には独特の志向があると思います。その生活に見切りをつければ負け、めでたくデビューできれば勝ちという感じでしょうか。
下積みを惨めと思わず、その生活が自身の性に合っているという人もいれば、華々しくデビューできても落ち目になって醜態をさらすという敗北もあるでしょう。これは人気商売だけではありません。タレント、作家、芸術家、資格浪人、そしてYouTuberにはごまんといるでしょうね。勝ち負けの基準を当てはめれば負けという事ですが、ダウンしても立ち上がれば少なくと負けはありません。
このブログの過去の記事「073_会社を潰す主犯」で、父親が経営する事業を継いで会社を潰した人物の話を書きました。経営者としては失格で、勝ち負けを言えば当然負けたことになります。しかし人生は何かのゲームではありません。多くの局面が連続して繋がり、死ぬまで終わりはないのです。
この人物は会社を潰してから、むしろ自分を取り戻して健康を維持する生き方を実践するようになったのです。
私はというとサラリーマン時代、2回にわたる大きな減給を食らいました。そして多くの同僚が辞めました。年齢やスキルを鑑みるに、辞められない私は居座る事を選択しましたが、結局は退職勧奨を受け入れてリストラされました。そして転職に成功したものの給料はさらに下がる事になり、貧窮の沼に沈殿したわけです。
さらなる転職、自営業、コロナで収入はゼロに。今ではアルバイト老人です。敗北続きという感じですが、それは本当に敗北なのでしょうか。繰り返しますがこれらはただの局面に過ぎません。
負け惜しみには違いないですが、悲壮感はありません。暮らしは淡々としています。
自分の思い通りになった事は少ないです。自分のやり方が間違っているとか正しいとか、そういう意識で生きていません。仮に間違った方向に進んだとしても、そんなにストレスがなくて夜中に目が覚める事が無ければいいのだと思っています。