東京と地方の関係について局所的な視点から考える
私は『ピクトブック』という絵本ポータルサイトを運営しています。
2017年にこのサイトを制作した後、まずアクセス数の推移を様子見し、本格的に運営し始めたのは2020年からです。
なぜこのサイトを運営しているのか?
通常だと「絵本が好きだから」となるのでしょうが、そう答えてしまうとある意味で嘘になってしまうかもしれません。
いや、結果的に絵本の面白さに気づいたので「絵本が好きだから運営しています!」とキッパリ答えても良いのかもしれません。
しかし、出発点が違う以上、途中から答えてしまうのは気持ちが悪いものです。
なので出発点から順を追って綴ってみたいと思います。
まずはじめに、私は地方出身・地方在住です。
そして『地方から全国へ』というベクトルでなにか活動してみようというのがピクトブックを始めた一つのきっかけです。
では、なぜ『地方から全国へ』というベクトルにこだわっているのか?
それは地方の『情報資産』が東京(大都市)に流出しているという現状があるからです。
それらの流出を防ぐためには、地方の情報資産を地方が主体的に活用できるという土壌を作る必要があります。
その手始めが『ピクトブック』です。
『絵本』という情報を地方でも活用できるという状況を作り出そうと考えています。東京(大都市)で行われていることが地方でもできるという事例を一つでも多く作りたいということです。
仮にその事例ができたのであれば、次は本題である『地方の情報資産の流出を防ぐ』というフェーズが見えてくると思っています。東京(大都市)で行われていることが地方でもできるのであれば、地方の情報資産を流出させなくて済むのです。
地方には『情報』という資産が確かにあります。しかし、それを活用しきれていません。むしろ、その資産を東京(大都市)で加工され、地方はそれを消費する側になってしまっています。
例えばですが、賃貸ポータルサイトについて考えてみたいと思います。
賃貸ポータルサイトと言えば『SUUM●』や『at h●me』や『H●ME's』が有名どころではないでしょうか?
これらの具体的なビジネスモデルを把握しているわけではないですが、PR表記物件の広告料が収益の一部だろうと推測しています。また、サービス参加料のようなものを不動産会社から受け取っているのかもしれません。
大手の賃貸ポータルサイトは素晴らしいサービスを提供しており、利便性という大きな恩恵を借りる側は受けています。また、利用者が多い分、貸す側も大きな恩恵を受けています。
一見、何の問題もないように思いますが、ある角度から見ると、不思議なことが起こっているかもしれません。
まず、賃貸ポータルサイトの商品は『賃貸物件情報』です。そして、その賃貸物件は地方にあります。
地方の情報資産を無料で受け取り、地方から広告料も受け取っているという見方も出来るのかもしれません。
そして、おそらくですが、家賃等に広告料が上乗せされているパターンが多いのではないかと推測しています。
つまり、情報も金も地方から東京(大都市)に流出しており、大袈裟に言えば、地方の借り主も貸し主も東京の養分になっていると言えるかもしれません。
賃貸ポータルサイトに限らず、あらゆる業種で似た構図が起きているのかもしれません。
と言うと少し過激な表現かもしれませんが、せめて情報も金も地方で循環させたほうが良いと考えます。
それは『地方の情報を地産地消する』と言えるのかもしれません。
地方あるあるで『地産地消』と銘打ってまちづくりが行われたりするのですが、この場合の地産地消とは農作物等の物理的なモノに限定されがちです。
その活動に異論を唱えたいわけではないのですが、『情報』こそ地産地消してみてもいいのではないかと考えています。
では、こういったポータルサイトはそれぞれの地方で運営すべきなのか? いやいや、非効率だろう? となると思います。
確かに、これまでのように知見のある運営体が一括で運営するほうが効率的なのは事実だと思います。
そう思いますが、非効率でも良いと考えていますし、ある程度の効率性を担保するのであれば地方群で運営する方法でも良いと考えています。
と言うと、効率性が損なわれるだけで、合理性に欠ける地方擁護のアンチ東京(大都市)のようになってしまいますよね。。。
しかし、東京(大都市)の役割と地方の役割を見直すのであれば、多少の非効率に見合う新たな可能性が見えてくるかもしれません。
国内市場を支える主役は地方が担い、海外市場を狙う主役は東京(大都市)が担うというように役割分担したとすればどうでしょうか。
まず前提として、人口減少社会においては海外市場に目を向ける必要があると思います。
これは多くの方の間で意見が概ね一致していると思いますが、依然として課題は大きいものです。
その原因の一つは、人口減少と言いつつも日本の市場がまだ大きいということだと思います。
例えば、日本の人口は、韓国の人口の2倍以上あります。フランスやイギリスと比較しても2倍近くあります。
フランスやイギリスはユーロ圏で市場を担保していますし、韓国は例えばエンタメ産業や防衛産業において国外市場を視野に入れた結果として一定の成果を上げていると考えます。
では、日本の市場が縮小すれば海外市場への意識がより高まるのか?ということですが、 おそらく今よりは高まると思います。
稚拙な話をするのであれば『夏休みの宿題』と同じだと思います。計画的に終わらせることが理想ですが、多くの方は夏休み終盤に慌てて取り掛かります。
これは夏休みの宿題に限らず、多くの方は余裕があるうちは腰が重いということだと思います。
ちなみにですが、私も例に漏れず、夏休み終盤に慌てて取り掛かるタイプでした。
とは言うものの、仮に日本の市場を縮小させるとなるとどのような方法があるのでしょうか?
人口減少局面とは言え、半減するほどの人口減少を待っていては時間がかかり過ぎますし、ジェノサイドのようなことは決して許されず、望むものでもありません。
少しだけ論点はズレますが、日本全体の市場を縮小するのではなく、東京(大都市)の地方に対する市場が縮小すればよいのです。
東京(大都市)には優秀な人材が大勢集まっていますし、優秀な企業も密集しています。これは疑うまでもない事実だと思います。
東京(大都市)の地方に対する市場が縮小した際、この優秀な人材や企業はどうするでしょうか? きっと今以上に海外市場に目を向けるはずです。
では、東京(大都市)の地方に対する市場を縮小させるにはどうすればよいのでしょうか?
それは地方が東京(大都市)依存から脱却して自立することです。ポータルサイトの類はAIといった最新技術に比べると馴染みのある技術で対応可能です。もはや地方でも対応可能な技術だと思います。
日本が海外市場を視野に入れることを肯定するのであれば、東京(大都市)の役割は大きいものですし、その役割を発揮するためには地方が国内市場に対する役割を今以上に担うことが必要だと考えています。そうすることによって多少の非効率が生じたとしても許容範囲だと考えていますし、失うものより得るものが大きいと考えています。
とは言うものの、地方の東京(大都市)依存の原因は何なのでしょうか?
その一つは東京(大都市)に対するある種の『憧れ』なのかもしれません。
地方の人間が東京(大都市)をどう見てるかというと『憧れ』と言う点が少なからずあると思います。
私自身、特に学生時代は東京に行きたいと思う気持ちもありました。今でも東京に移住したら面白そうだと思うこともあります。
この『憧れ』というのは厄介なもので、この感覚が無意識に地方で蔓延しているようにも思います。
同等のクオリティーの商品でも『東京で話題』となった商品のほうが強くなりがちに感じますし、地方で売り出すよりも一度東京で売り出して『逆輸入』のようなかたちで箔をつけて地方に戻したほうが都合が良いのではと感じることも多々あります。
IT関係で言うと、同じクオリティーを担保できたとしても、発注者の知識不足もあって『東京の安心感』を買いたくなるものだと思います。何か問題があっても「東京のクオリティーで対応できないなら仕方ない」という理屈付けもできますので。
このように東京(大都市)への『憧れ』のようなものを原因として、コンテンツもサービスも東京(大都市)に依存する状況にあると思います。
そのようなことを考えると、やはり、まずは『地方から全国へ』というベクトルで活動する必要があるように感じます。地方がもっと実力と自信をつける必要があると感じます。
正直、最初から地方で完結する『情報の地産地消』に着手したかったのですが、なかなか受け入れられる余地があるようには思いませんでしたし、今も自信がありません。
先ほどの例で言うのであれば、地方版賃貸ポータルサイトを制作して不動産会社を説得すればよいのかもしれませんが、勝ち筋としては地方版に情報が集中する状況を作らなければなりません。
つまり、地方版のほうが情報が充実している状況を作らなければなりませんし、もっと言うと、『情報鎖国』とでも言うのか、地方版にしか情報がなく地方版しか検索にヒットしない状況を作らなければなりません。
しかし、東京(大都市)への憧れや安心感のようなものを考慮すると、地方で完結するような案を共有することはまだまだ困難だと感じています。
また、地方は地方でパワーバランスがあることも東京(大都市)依存の一つの要因だと感じています。
地方の大手は中小よりも当然ながら金策が強いものです。となると、東京(大都市)に支払わなければならない状況のほうがかえって安定するという見方もできます。現状維持で充分だとなりがちな状況です。
そうなると、例えばですが、地方大手①(大手ポータルサイト派)vs地方大手②+地方中小(地方版ポータルサイト)のような構図による対立によって局面を変えるしかないのかとも思います。
本来、競争のなかでコンテンツやサービスは磨かれるものだと思いますので、この穏やかではない状況もどこかの局面では大事なことだと考えます。
その局面を作り出すためにも、僭越ながらもできることは何か? それは繰り返しになりますが『地方から全国へ』というベクトルのサービスを地方から始めてみるということです。
東京(大都市)への『憧れ』のようなものが原因でITは東京(大都市)には敵わないという意識が無意識にでもあるとすれば、局所的にでも伍する状況を作り、実際にその状況を見せることで認識を変えたいと考えています。
その局所として『絵本』を選んだということです。
出版業界は事実として右肩下がりの業界です。しかし、絵本に関しては右肩上がりの状況です。
まず前提として「成長している分野でサービスを作りたい」という希望がありました。
しかしながら、新参者がイケイケの業界に参入する隙間は極めて狭いものだと思います。
そういった業界ではない業界を選定する必要もありました。
例えばですが、地方では『他所者・若者・馬鹿者』が地域活性のカギというような話がされるようになりました。
これは地域の人々が優しくなって他人を受け入れるようになったということではないと思っています。
美談のように語られがちですが、これも無意識になのか、人口減少による地方消滅リスクによって合理的な判断を迫られた結果だと思っています。
そのような類いであっても合理的な判断をいただけそうな業界が必要であったということです。
このように説明すると排他的な地方と出版業界を同列に扱っているように思われてしまいますが、これはある種の私の被害妄想のようなものです。
排他的な地方は事実として存在していて、それを知っているとどうしても慎重になってしまうということです。
ピクトブックの運営を数年続けてきた甲斐もあってか出版社様と少しずつ関係性を築けてきましたし、これからも協力関係を築いていきたいと思える気持ちの良い状況です。
ピクトブックをとおして、出版業界において微力ながらも貢献できる存在になれればと思います。
そういった段階に近づいたのであれば、この話の続きができるのかなと考えています。
ちなみにですが、これらの考えは人口減少がこれからも進行するということを前提としています。また、少なくとも数年でどうにかなるものではないという前提です。
「10年後に10歳になる子どもの上限は概ね決まっている」という話をすると「そんな悲観的な推測しないでほしい」と言われることがたまにありますが、これは推測ではなく事実です。
いきなり10歳の子どもを出産できるのであれば話は別ですが、そうはならないのです。移民を受け入れればまた話は別ですが、減少局面を反転させるほどの大人数の受け入れも世論として現実的ではありません。
もちろん人口減少を解決するような対策について考えることも必要です。この問題を放置してはいけないというのは至極正しいと思います。
しかし、この問題と向き合うということは長期的な取り組みが必要です。その長期的な取り組みだけに頼りきってしまうことは危険だと考えます。
東京(大都市)と地方のパワーバランスを調整して新たな可能性を模索するような中期的な取り組みも必要だと考えています。
また、これらの考えは日本がこれからも成長するにはどうしたらよいかという前提があります。
一方で『脱成長』という考えもありますが、これは国のあり方そのものを土台から見直すような超長期的な取り組みだと思っています。
私個人としては賛同できる部分も多い考えですが、手放すものが多すぎるので社会が簡単には適応できないと思っています。
もちろん理想を馬鹿にしてはいけませんし、私自身も理想を抱いている部分はあります。
しかしながら、あくまで現実のうえに理想があるということだと思います。現実が充実した先にこそ理想があるのだと思います。