ちんこ!
※タイトルと本文に関連性は何一つありませんすみません
大きな泣き声をあげる。そして人生が始まる。
赤ん坊が生まれた瞬間泣き声をあげるのは、どっかのしょうもないポエマーが言う
この世に生まれたことに絶望したためでも
お母さんと離れ離れになったことが悲しいため
でもない。
産道から受ける強烈な圧迫と重力、外気の刺激によって肺に空気が送り込まれ、それが吐き出される時、産声があがる。反対に、産声を上げられない赤ん坊は息が出来ずに苦しみ、大人にもみくちゃにされながら無理にでも泣かされる。
ヒトは、否が応でも涙を流さないと、息を吐き出さないと、己の人生をスタートさせることが出来ない。
吸って、吐いて、息をする。
しょうもないポエマーみたいなことを綴っていく。
1996年、雨の降る夏の日。
わたしはごく自然に産声をあげ、そこはかとなく人生が始まった。裕福でも貧乏でもなかったが、親からもきょうだいからも、友人からも愛情を沢山貰った。勉強もスポーツもそれなりにできて、恋愛だって人並みにできた。傍から見れば劇的とも、絶望とも言えない人生だが、主人公は自分で、自分の人生しか知らない。死んでもいいと思えるくらい劇的な日も、これ以上ないほど落ち込んで立ち直れない絶望の日もあった。
自分語りをしたい訳では無いのだが、わたしの人生において このバンド がどんなものなのかを書き留めていく。(誰からも求められていないが)
変な声の、変なバンドに出会ったのは高校生のときだった。
左耳 知らなかった穴
覗いたら昔の女がいた
弄れた友達が部室で鼻歌交じりに歌っていた。
変な歌〜。
初対面はそれだけだった。
バンドの名前と、歌のタイトルを教えてくれたと思う。
とりあえず連絡先だけポケットに突っ込まれたみたいで、登録はしなかった。
それから2年、大学に入学して親元を離れた。人並みに勉強して、人並みに遊んだ。
白が少しずつ汚れて、キラキラとイライラが捻れた。
よくある大学生活だったと思う。
エモい っていう耳触りの良い耳障りな言葉が流行って、ハッシュタグで繋がる世界になった。
邦ロックと古着とコーヒーがセットでセールになっていたから、行列に並んでわたしも買った。
アルコールと始発と蜂蜜もおまけで付いてきた。
エモい人間に憧れて、人とは違うわたしになりたくて、YouTubeで邦ロックを検索した。マッチングアプリでスワイプするのと同じで、出会っては切った。退屈で突っ込んだポケットの中に、ひどく草臥れた紙切れを見つけた。
もうすぐこの映画も終わる
こんなあたしのことは忘れてね
これから始まる毎日は映画になんかならなくても
普通の毎日でいいから
鉛玉に撃たれたみたいだった。甲高い声とそれに続く言葉が、とても誰かのために作られた歌とは思えなくて、何かに憧れて、何にもなりきれない自分をぶち抜いていった。
積み上がったフリーペーパーを根こそぎバッグに突っ込むみたいに、下北の大学生みたいに、片っ端から曲を聴いて、特別になれた気がした。紙切れが埋もれないように綺麗に伸ばしてピンで固定した。
汚れた生活や愛や恋
それをそれとして言葉に出さない彼らの歌詞の中を、自分だけが理解した気になって気持ちよく泳いでいた。
世の中にちらほらと感染症が芽を出し始めた頃、バンドは現メンバーで10周年を迎えたらしい。
10周年記念ツアーの幕開けとなるライヴ。
わたしはこの時初めてこのバンドの演奏を生で聴いた。バンドにとってはきっと深い意味のあるライヴで、わたしにとってはただ世の中が変わる前の、最後のライブだった。ステージ向かって左側、ほぼ最前。まだみちみちだったライブハウスで、SEもなく、ただ歓声と拍手の中にメンバーが現れた。
やっぱり変なバンド!
そう思った。
きっと死んだら地獄だろうな
でも天国なんかないしな
第一声、第一音が聴こえた時から、わたしは息ができなかった。観客から受ける全方位からの圧迫と、演奏、歌声の強烈な重力。
大きく息を吸い込んで、そして止まって
次に息を吐き出す時にわたしは泣いた。
熱狂と音にもみくちゃにされながら、声を上げて泣いた。
それまでの人生、
わたしの喜びの、悲しみの、苦しみの8割以上はこのバンドで出来ていた
なんてことはなかった。
ただこのバンドの曲を聴く自分が好きだった。
だから、溢れ出した涙にわたしは心底驚いた。
こんなにも心を掴まれるのか、こんなにも揺すぶられるのか。
自分の身一つ削ることなくただ受け取るだけだったわたしは、身を削って音を作り出すバンドと、その音の重さを知った。
紛れもなくその瞬間から自分の中の新しい人生が始まった。
そのライヴを最後に、このバンドだけでなく、全てのアーティストのライブやフェスが軒並み中止となっていった。
肌に触れたあの熱狂と音が忘れられなくて、無料で聴ける小さな画面の中の彼らに直接触れたくて、もう一度息をしたくてもがいていた。
お金を払ってCDを買って、ファンクラブなんてしょうもないものにも入った。新規と古参の小競り合いを、新規でも古参でもない外野から眺めていた。ただ1人で、歌詞カードが擦り切れるくらいに言葉をなぞって、その時の気持ちに合った歌をお守りにして持ち歩いた。
それから2年が経って、またあのバンドのツアーに参加した。初めてのホール。
ライブハウスとは違う、もみくちゃにされない、声を上げることも出来ない環境で、それでもバンドは変わらない音を鳴らした。
前から2列目。振り返る隙もなく言葉が降ってきて、後ろの反応が分からなくて、バンドの目にはどんな世界が広がってるのか不安になった。
ライヴに来ているようで、画面を見ているようでもあった。拍手だけが鳴っていた。
わたしじゃなくて、きっとバンドのメンバーが1番熱狂にもみくちゃにされたくて、息をしたくてもがいていたと思う。どこにぶつけていいか分からない、誰を責めたらいいか分からない苦しみが聴こえた気がした。無言であがる拳、マスクから覗くわたしの目は、それでも確かに輝いていた。
それから何度もライヴを見に行って、大きな会場でも、野外フェスでも、小さな箱でも変わらずバンドはもがいていたように思う。
少しずつ社会が戻ってきて、2023年、3年越しの幕張メッセ。
緊急事態宣言から約3年ーーー
始まった歌声は、演奏は、光は、ライヴは、紛れもなく生だった。
叫び声のような歌声がわたしを圧迫して、自分の心臓の音と、バンドの鳴らす音だけが頭に響いた。
小さな無料の四角のなかでは感じることのなかった圧力が、音の振動が、苦しみと喜びがわたしの体と心をもみくちゃにして、涙を溢れさせた。乾いた身体に涙と血が巡って、いやでも生きていることを感じさせられた。肺いっぱいに音を吸い込んで、そして大きな声で叫んだ。またスタートした。
主人公わたしの毎日は、誰にも読まれない漫画みたいに人知れず続いている。
19巻あたりでわかった気になっていたこのバンドのあの歌詞の
ほんとうの意味はきっといつまでも分からないけれど、都合よく解釈して、好きなように持っていようと思う。
この毎日が映画になった時にはきっと、オープニングとエンディングの曲をこのバンドに頼もう。だれもスキップなんて出来やしない曲を。
ライヴから帰ってトイレの電気がつけっぱなしだったり
おかずが出来てから炊飯器のスイッチを押していなかったことに気づいたり
やっと眠れそうになったときに山羊に起こされたり
喉元まで出かかった悪態を無理に飲み込んで涙目になったり
いつだってちょうどいい所は埋まっている。
そういう小さな絶望を繰り返して毎日は厚くなっていく。
このバンドも同じだと思う。
このバンドの4人が、一体どんな絶望の中を過ごしてきたのかをわたしは知らない。
わたしがどんな絶望に触れて過ごしてきたかをこのバンドは知らない。
誰もが誰かの絶望の全てを知ることはないけれど、このバンドは紛れもない誰かの絶望を、音で薄めたり、煮詰めたりして解していく。
わたしが、誰かが、このバンドの作り出す ただの音 に救われている。
このバンドが苦しくて息ができない時、誰が彼らを救えるのだろう。
直接届くことはないかもしれないけれど、
なんの意味があるかは分からないけれど、
何があるか分からないから、
この体から音の出るうちに、出来るだけ沢山、出来るだけ大きな声でありがとうと叫ぼう。
大きく息を吸って、そして止まって、吐き出して、死ぬまで生かされる。
またこのバンドと一緒に今日が始まる。
泣いてもがいて苦しんで、いつか来る終わりに向かって、今日も一緒に生きている。
あとがき、、、
こんなに長くてイタイイタイな文章を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。早く寝た方がマシでしたよね、、、すみません、、、ここからはほんとにマジで寝た方がマシなのでもう読まなくて大丈夫です、、、すみません、、、
さて、表題について
お目汚し大変申し訳ありません。大事なのはメッセージよりパッケージだと教えてくれたのはクリープハイプです。
ただ、大きく息を吸って、大きな声でこの言葉を叫んだとき、ヒトはきっと1番笑顔になれて、生きてる!と実感できると思います。出来るだけ人目につくところでやっていきたい。ライヴに参戦するのと同程度の高揚感と緊張感を得られると思います。オジサン達もきっと1番いい顔をしてくれると信じています。ファンにセックスしようと大声で叫ばせるような人達ですから!
この企画をきっかけに、初めてnoteアカウントを作りましたが、皆さんのクリープハイプとの思い出を覗き見させてもらえて、凄く凄く興奮しました!自分が知るよりもずっと昔から沢山の人に愛されているこのバンドを、自分なんかが好きでいて、語り出して、烏滸がましいなと、、、いやいやそれでも、わたしも好きだぞ負けないぞと、、、アンビバレントな感情がふつふつと湧き上がりました。こんな長くてくせぇ文章は求めてねぇんだよなぁとか言われるのかなぁと悩みつつ、布団に入ってたくさん考えて、何日も、何回も書き直しました。自分の感情にバッチリあった言葉を探して充てがうのはすごく難しいけど、頭にちらばった思いを言葉にすると、一層大事にしたくなりますね。所々尾崎さんの言葉をお借りしつつ、自分が綴った文字が、どんな音で、どんな意味を持って皆さんに再生されるのか不安でしょうがないけれど、少しでも気持ちが伝われば嬉しいです。
これからも、新規と古参と外野で付かず離れず、オジサン達を死ぬまで一生愛していきましょう。