2022年観劇ベスト10

①マームとジプシー『cocoon』 @さいたま芸術劇場

もうこれは、ひとつの「作品」として見ることができない。台詞とかもあったけど、全部かき消されて、「音」でしかなかったし、「役者」なんてものが、舞台上にそもそもあったのかどうか。与野本町の夕方に、自転車で買い物に行く人や体育着で家に帰ろうとしている人たちを見ただけで感動した。だからその3時間は「上演」ですらなくて、ほとんど「歴史」を見た(?)というような感覚に近い。

②ダダルズ『QPQの地点』 @SCOOL

2022年にこの上演があってくれてほんとうによかった。「わかりあえない人たち」のリアルから目を逸らさないで、ぎりぎりのところから捻り出された一つ一つの発声がことごとく発明だった。そういう世界で生きているわれわれを、泣いて笑って、ごまかしもしないで立ち向かっている。たたかいは続いていくのだと思った。

③劇団普通『秘密』 @王子小劇場

こういう会話というか、会話にもなってないくらいのやりとりって、めちゃくちゃわかるんだけど、それを再構成しようとする気概が発明だった。親密さに裏打ちされたはずの弛緩コミュニケーションにびりびりの極細神経が張り巡らされていてむしろサスペンスですらあった。人間ってすごい。

④ダウ90000『いちおう捨てるけどとっておく』(配信)

いやもう面白すぎる。なんなの。蓮見さんはどういうペースで本書いてんの。ネタを全然使い回したりしないしさ。これはダウ90000であんまり見たことなかった気がする口論シーンが特徴的な作品だったんだけど、登場人物の関係値を操作して口論に至るという劇作ではなくて、だから恣意的な意図みたいなものを内在する演技が一つも見られない。いうなれば全員天然キャラとして立ってる。手法としては当て書きに近いんだけど、そのキャラみたいなのを当てられた側が自覚して内在化してしまうとまたそこから意図が生じてしまうから泣きたくなるくらいのバランスでやってる。演技理論みたいなものに「アクショニング」というものがあるらしいけど、そういうものがいかに陳腐であるかって思うね。動詞で演技を組み立てるみたいなのはもう現代においてはただの古臭い芝居としか映らないわ。動詞でいうとしたら「思い出す」とか「思いつく」とか「なんとなくその場のノリに合わせる」とか、それぐらいのもの。誰かを変えようとか、自分をこう見せよう、みたいな意図はもうおこがましいっていう感覚が普通にそう。そしてその「思いつき」のちょっとしたずれが瞬発的な笑いを産んで、蓮見さんはその引き出しがガバガバ状態だからガバガバ笑いが起こる。蓮見さんは人の天然ポケットを引き出すのが抜群に上手い。そしてそれがいやらしい感じにならないのは、どんな(普通の)人でもその人の天然ポケットがあるということを見抜いてしまっているからだと思う。もちろんここで言っているのは昔テレビとかで言われた「天然タレント」みたいなカテゴリー、キャラクターとしての「天然」ではなくて、人はそこに立っている時点でそれだけで実に天然な存在であるということ。そしてその天然ポケットの底がまだ全然見えない。状況や環境が変わればその都度変化するものであって引き出そうと思えばいくらでも引き出せるのかもしれない。それは人だけじゃなくて、言葉とか物でもそうで、例えばさっきの「天然タレント」みたいなものだって、きっと誰かの天然性が拗れた結果生み出された醜き人工物であるのだけど、それを解体して天然性の平野に引き戻すという手つき。固有名詞の使い方が上手いと言われるのもそう。固有名詞の醜さが解体される瞬間に、いわゆる緊張から緩和というメカニズムが作動して笑いが生まれる。そしてみんなそれを求めてる。ダウ90000のメンバーが持っているのはいうなれば、その解体済み(生成前)としての身体性であって、生成されることを躊躇っている、まだぴんときていない地点に留まっている。これがすごく同年代の身体として、自分ごととして響くからその観点からも感動している。僕自身もそれについてはぴんときていないから。いわゆる前時代的な「個」として生成される必要性に迫られていなくて、だけどそれがイコール「未熟さ」としてカテゴライズされてしまわない世界がそのまま成立可能とされていること、その説得力がこの完成度になっていて涙が出そう。ありがとう。全公演のDVD販売して欲しいです。

⑤ウンゲツィーファ『モノリス』 @ギャラリー南製作所

好きでした。これはなんと言ったらいいのかわからない。
とにかく、藤家さんの「俺は頭使ってるから。お前がいちばんザコ!」という台詞と、黒澤さんの「卒業したくなーい!」という声が聞けて、それだけで2022年は幸せだったと言ってもいいくらい、よかったです。小中高大小中高大……

ディミトリアス・パパイオアヌー『TRANSVERSE ORIENTATION』 @さいたま芸術劇場

黒い布を被って頭にボール乗っけて動く人間みたいなやつと、牛がすんごく牛で、それだけで素敵でした。

山本卓卓×北尾亘『となり町の知らない踊り子』 @東京芸術劇場

一致しない要求、満たされることのない欲望、宛先のない願い、それらは、"祈り"のようなもので、あらゆる街角に、テキストに、ひとりひとりのなかに、燻っている。それをそのまま、舞台の上に上げてくれてありがたいと思う。1人で25役…!すごい。
ゲンロン13 大山顕さんの論考『斜めのミラー』、カメラとディスプレイがもたらした視線一致のトリック。本当に見るべき相手、本当に見られるべき相手が紛らわされるバグ。『となり街の知らない踊り子』での「頼む。こっちを見てくれ」という切実な願い。『LOVE LIFE』ラストシーンの謙虚さ。

ウンゲツィーファガーデンBésixdouze (べシス)『さなぎ』@元映画館

不器用で、ぎこちなくて、いろいろかんがえているけど、それでもやっぱり素直に言葉を紡ぐひとたち。観たあとに、なんだか12月の空気が堪えるから、演劇を観たんだと実感しました。俳優というのは、こんなにも言葉をだいじに扱うことができるんだと感動しました。

サム・メンデス演出『リーマン・トリロジー』 (NTLive)

本谷さんが『マイ・イベント』でやりたかったことは、ひょっとしたらこういう感じだったのじゃないかな、と思いました。回転するガラス張りのオフィスがとにかくカッコよかった。

本谷有希子『マイ・イベント』 @小竹向原SAi STUDIO

いろいろ事情があったようで一人芝居になってしまったけど、本谷さんの書く言葉の正確さを身に染みて勉強になりました。

akakilike『捌く』 @東京芸術劇場

ダンスとしての「身体」か、演劇としての「顔」か、運動そのものか、その先にあるイメージか、その空間自体か、言葉なのか、そのチューニングについて考えることになった上演でした。


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