日記というものを書いてみようと思うのだが、
日記など続いたことがない。だけども、なにかしら書くということをとりあえずやってみるきっかけとして、日記という体は比較的手っ取り早いところにある。日記を書いていてむず痒いのは、たとえばその日一日の出来事を振り返って、こんなものか、と思ってしまい、自分の一日というもののくだらなさに直面して耐えられなくなるのである。逆に、まさに日記のような一日、すべてが上手くハマった、みたいな日があっても、それはそれで、なんとも落ち着かない気持ちになる。まるで自分が日記を書くためにその一日を過ごしていたのかと思ってなんとも心疾しい思いがする。ああもう書くことがない。今、バイト中で手持ち無沙汰でこれを書き始めてみたのだけど、パソコンのエディタ画面に向き合えば、僕の短絡的な思考はたかだか200文字しか持たないらしい。別にTwitterの140字という縛りにディシプリンされていることをあげつらうまでもなく、そもそも日常生活を送る中で自分が下している判断というのは、200字にも満たない短いスクリプトによって操舵されているような気がする。まさについ先程も、新しいスマートフォンの購入にあたってさまざまな要素を比較検討して判断を下したのだが、面倒臭い手続きを、4つのステップに分けてテキスト化し、メモ帳に保存したところだ。200文字を超えてだらだらと文章が続いていくのは、不自然にすら思う。あたらしい日記帳の1ページ目の白さを思うと、気が引ける。学級が変わっての最初の自己紹介で、1番に指名されたら何を言えばいいのか。当たり障りのないことを言って、あとで盛り上がったりしたら逆に恥ずかしいだろうな…。たとえば転校生は、そういう修羅場をいくつも乗り越えて、面は厚く、芯は太くなっていくんじゃないか。僕は、転校したことがない。表紙に書かれた名前の筆跡だけで僕という人間をある程度わかってほしい、背表紙の汚れ具合で、なんとなくウンウンと頷きあっていたい。そうやって誤魔化してきた。ノートの中身を見てみたら、ほとんどなにも書かれていなかった。鉛筆で途切れ途切れに書かれた字は、消えかかっている。
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