2022
起きてしまったことは起きてしまったのだからしょうがない。なかったことにはできない。だけれどほとんどの起きてしまったことは、まさにそのようにして、なかったことにされて時間は進んでいく。それがおとなのやり方だと、自戒を込めて思う。
覚えていることのほうがずっとむずかしいし、過去にとらわれているほうが、滑稽で、むしろたくましい。
とはいっても、2022年、またとくに何も起きないまま終わってしまった、と振り返ってみて思う。環境や立場、生活習慣が変わっても、結局はずるずると他人に依存しながら、生きているだけだ。
自転車に乗った人がゆらゆらと目の前を通り過ぎる。それだけでのどかなさわやかな一片の都市的風景がつくりだされるのだけど、その風景のなかに、運んでいく/運ばれていく、という2つの運動が同居していることが、僕の潜在意識をわずかに動揺させる。両手でしっかりとハンドルを掴んで、両足をぴたりとペダルにつけて、ぼうっと前をみつめてスーっと移動していく人を見て、心にそよ風が吹いたように感情が揺らぐ。その緩やかなスピードが、停滞する日常という空気を通過してその粒子をわずかにかきみだす。
映画鑑賞の体験は、その起源からして列車に例えられるが、よくできた演劇というのは、自転車みたいだと思う。そのとき演劇の観客は、乗客(あるいは運転者)ではなくて、ただ自転車に乗っている人を見ている。平らなスクリーンを見つめて列車に乗っているような感覚に襲われることが映画のイリュージョンだとしたら、狭い舞台上に、自転車に乗っている人を見るということが、すなわち演劇におけるイリュージョンだ。観てよかったと思える演劇は、上演時間で完結されたそのあとの余韻だけでなく、劇場の内から外へ駆け抜けるようなさわやかな運動がそのまま感得される。その一瞬の儚さと切なさ、滑稽さが、劇場の空気を震わせ、外の世界へ拡がっていく。
街中で見かける自転車に乗っている人の背景には、生活がある。前カゴに買い物袋が入っていたり、チャイルドシートのカバーがはだけていたり、寒そうにマフラーに首を埋めていたり、制服のスカートが捲れないように手で押さえていたり、スマホを片手に電話したりしている。それぞれの生活が、油断して、隠そうともせず、さらけ出されている感じがとても演劇だと思う。自転車に乗っている人は、生活を運んでいると同時に、生活に運ばれているんだなと思う。その様子にギュっと胸を掴まれる。
どんなに達者な俳優でも、結局は自転車を漕ぐという行為の範疇でしか、なにかを表現できない。それをわかっている俳優がどんなに素晴らしいパフォーマンスをするかというのは、たとえば満島ひかりを見るだけで明らかだ。うーんとにかく、背筋がのびる。ファンであるとかを超えて、お守りのよう人だなと思う。
そんな自分は、大晦日の朝にまわした洗濯物を、元日の午前3時にハンガーにかけはじめるような人間で、満島さんとはきっと目も合わせられない。ふと、反省の対義語は正当化だと思った。自分は自転車を漕いだだけで、誰かを感動させられるか。
計算して、答えを導き出そうとするような時間。何に反抗しているのか。何と癒着しているのか。衝動を評価できるのか。マクドナルドでしかできない瞑想があるか。靴を買い替えたいと思うか。こんな時間は前にもあった。マクドナルドで考え事をしていたら、なんだかいけそうな気がしてきて、そのまま店を出る。ロールモデル?
どういうことですか。何に感動しましたか。会話が成り立たない。そもそもその気がない。どんどん語彙が貧弱になっていく。働くってそういうことですか。ただ、語彙が増えたとしたって、虚しい?金が増えるよりはマシか?
そうだった。午前中に部屋で映画を見るのはなかなか難しい。身体がうごかないから。映画の話もしたい。1月というのは、こんな感じだった。それは去年も。部屋の中で厚着をしたほうがまだマシ。踊れない。踊るのは目的ではない。結果的に、踊った。歩いて行ける距離に、図書館があった。貸出延滞している本をリュックに詰めて、家を出た。まだ考えがまとまっていないので、そのまま出て、未払いの診療費を病院で払う。煙草も吸う気持ちにならない。それが1月。昼前でまだお腹も空いていなかった。カラオケ店の前を通りすぎて、戻って、カラオケ店に入った。アプリ、入れていたはずなんですけど。といって、全然声が出ない。キーをいじって、音量をいじって、なんとか。腹筋が落ちていて、喉の筋肉も弱い。下半身も硬い。ストレッチをしながら歌った。高い声が出なくなっている。もともとそんなに出ていないかと。だけどじわじわと身体が温まってきてよかった。裏声を出すと、なんか体調が良くなる?さて、ドトールに入ったら、ドトールブレンド。煙草を吸いたくなって、外に出る。嬉しい。横断歩道を走って渡った。
昼休みというものがあった。9月〜10月あたりは。四谷のスタッフルームに勤務していた。半分くらいは原付で行っていた。新宿通りを渡って、中華料理屋の弁当をよく買って食べた。近くにあった喫茶店にも2回、行ってみた。作業に集中して、合間にビルの階段で煙草を吸ったりした。8月あたりに、アメリカンスピリットのオレンジが製造中止になった。そこからは、ミントを吸っている。やっぱり体調とか血行によって、煙草の味が全然変わるのだと気づいた。
なんだかんだ仕事があった一年だったのだ。だけど全部人から紹介してもらった仕事で、誇れるようなことか。2〜3年は続けてみたほうがいいのではないかと、なんとなく思ったこともあった。これは最近のこと。だからいままで一番お金があって、お年玉も初めてあげることになった。従兄弟の集まりでは、背筋が曲がっていると言われた。わざと曲げていた。紅白寒天は、気づいたらなくなっていた。
友達が減った。数えているわけではないが。連絡をとっていないから。なぜかと言われても。結婚式に出なかった。話せることがあるか。子供が生まれたりしているらしい。子供は可愛いってだけ。年末って感じがしない。寒いってだけ。本当には減ってないかもしれない。変な感じで連絡をとってしまうより、変な空気にならないほうがまだいい。年末年始で、誰かと会う約束を、どのタイミングでとっていたのか。マッチングアプリの返信を気にしながら、家族との会話は疎かになる。愛情表現は、たとえば投げキッスとかをしたほうがよいだろうか。プレゼントとかよりも、そっちのほうが効果的。投げキッスなんていつでもしてやる。
よく眠れば大抵の悩みは解決するし、つらかった思い出はすぐに忘れる。楽しかった思い出も、実際は区別なくて全然忘れる。覚えておきたいことだけ、ときどき思い出したいけど、思い出の使い方として正しいかどうか、いつも不安でいる。ラジオラジオ、ラジオとか聞いて、微笑んでいるけど、実際は泣いている。
仕事がなくなったら、人と会わなくなって、うーんという感じになった。人と会わなくても大丈夫な時期はあった。そのとき読んでいた本の内容も、もっと思い出したいことの一つ。映画なんて本当に覚えていたい。でも仕事の人とは、仕事でしか会わない。これはそう。なるべく仕事は、仕事っぽくなくしたいけど、仕事だからそう。でも大丈夫。寂しいから大学時代の友達に連絡するなんて、危ないことだと思う。全然していいけど。
仕事の電話がきて、やっと元気になるみたいな瞬間も何回か。一人だと、どうも。やってますよ、っていうのを、見ていてほしいってのはある。締め切りがあって、それに間に合わせればいいっていうタイプの仕事ではないから。常にコミュニケーションとってないといけない。これは去年の学びの一つ。ミスっても、険悪になっても、コミュニケーションやめたらほとんど業務放棄みたいなもんだから、なんとか顔色伺ってやっていく。もっと先回りしてじゃんじゃんできるようになっていったら、やりやすいはず。そこから2〜3年は続けようなかなという先ほどの意見は真っ当さが担保される。
仕事の仲間は、わりとみんな元気がある。だけどその元気をあまり深掘りしないようにしている。その元気はありがたいし、その分の元気はそれなりに返していきたいと思ってる。だけど危なっかしい元気もあるようで、そこらへんは要注意と思ってる。タモリさんの言葉を思い出して、バランスを取ったりするようなミーハー。斜に構えすぎても危険というのはわかってる。だけどもやっぱりこんなもんでしょ、というのは確実にある。
仕事しながらの雑談とかが、本当にできない。そういうのが重要というのはわかる。でもそういうのができるようになったらそれこそ本当に危険です。愛想笑いか愛想笑いじゃないかなんて、誰も気にしていないからそれは気が楽だけど、そういうの含めてそういう世界でやっていくタフさからは身をひきたい。僕のような人間に、仕事の極意みたいなことを真剣に教えてくれる先輩はありがたい。ありがたいという顔で、とりあえず聞かせてください。
マジで保険とか年金とか税金とか、母親に会うたびに顔に書いてある。そういうとき僕は、笑って笑って、もっとスマイルっていうだけ。逃げていてもそのうちやってくることからは、とりあえず逃げていていいだろう。屁理屈で視界が霞む。
そういういろんなことがらから、ドトールコーヒーで瞑想。去年買ったこのBoseのイヤホンはベストバイの一つだろう。迷って迷ってノイズキャンセリングはなしにした。まだそこまで雑音に困ってはいない気がしたから。迷って迷って買い物をするシーンも何回かあった。4月にはライティングデスク、オフィスチェア、自作の壁面本棚、そのあと間接照明とか。リトルカブも買ったやんか。最近はパソコンモニター、ぎりぎりまで迷ってMacbookAirも買った。これがないと仕事にならん。
12月の現場は久しぶりだった。結局カチンコも買ったし、台本カバーは素晴らしい。パーマセルテープは高い。現場バッグもA4サイズを買って正解だった。小道具・立ち位置・カチンコを、サード助監督がマスターしたら現場ではある程度動けるようになる。衣装とかスケジュールまで把握できるようになったら昇進ってことになる。助監督なんて自分では手を動かさないんだから、元気があることとハッキリものごとを伝えられることが一番大事だと教えてもらった。300人のエキストラを動かすマイクパフォーマンスは圧巻だった。うーん、今年もこの仕事を続けていくのかなあ。
監督になりたいなら助監督じゃなくて、脚本書いたほうがいいって、誰もが言う。まあそれはそうだ。だけどお金がとりあえずはもらえるからな。現場中は考え事する時間なんてない、っていうふりをして、まあなにかをなるべく考えているようにしているしかない。助監督70人くらいのLINEグループがどうやらあるらしいが。
計算して、答えを導き出そうとするような時間。その真っ当さと、後ろめたさ。ロールモデルはロールモデルのまま、遠い存在、近づけない。むしろわたくし自身はroll=転がりながら、雪だるまのように形づくられていくしかないと割り切れもせず、腹を括るっていうときのその腹筋が足りない、こんなに猫背では。筋トレか。冬だし。筋トレですか。隠れてしよう。
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