生きることは正義かもしれない話。
-- はじまりは 前置きから--
あなたが悪いのではなく この人生が激動なだけ
だから 今とても救われない気持ちでも どうか自分を責めないで。
だけど、やっぱり、私にはその難しさがわかりすぎて胸が痛いので、
じゃあ、責めるのは仕方ないとして、
少しでも生きることを楽に考えられるように話を進めたいと思う。
(ここから本題 )
まず、
今感じている違和感やそれが少し悪化した不快感が
この人生のテーマのヒントなの。
そしてこれは人それぞれの部分。
次に、
人間は誰もが暖かさと冷たさを持ち合わせ、
出会いに愛、そして害を感じるもの。
これはそう、"人ゆえに"の部分。
でも案外、人生のはじめの方は
新しい出会いが一気に押し寄せる時期、
後者のせいで苦しむ人がたくさんいること。
だけど、すこし時間が過ぎて、
実は前者が重要だったとわかれば、
少し気楽になれる兆しが来たのだと思う。
人生の目的に現実で気づけたか否かは
オプション的イメージで、もし気づけたら良かったねくらい。
とにかく
目的に気づいた上で目的を横断するように生きるのか
生き抜いた結果知れるかにしろ、
"目的を果たすこと"と"人間の性質"の中で生きて、
それはざっくりと、この世に生まれ 多くの人と出会い 死んでいくという一連の流れがあるのだけれど、
大きくこの二点で人生は完結してしまうと思う。
追加での気づきといえば、
個人の欠陥や、出会った人の性格や出来事は、
目的を構築する上での濃い材料だということ。
私は、この人生事態がある種の一連の儀式のように思っていて、
お清めとも思えている。
この儀式は、人間特有の感情や知恵を用いて" おとぎ話 "を体験していくもの。そして、生きているということは、
唯一無二のストーリーを作ってる途中ということ。
その人が生きていく目的を理解することは他人にはできないし、
理解できる可能性があるとしたら本人だけ。
けれど、喜んでいいと思う。
今まさに、"生きていること"は説明できたから。
”生きているということは、
唯一無二のストーリーを作ってる途中 ”
-- まとめに一言 --
この国に、おつかれさまです。と言う文化が
あって本当によかったと思う。
みんな、頑張ってるとか頑張ってないとか関係なく、
一つの目的を背負っていて、
それが頑張っている、ことだと思うから。
心の底から、
おつかれさまだと私は思うのです。
-- 色々書いたアトからのお手紙 -------------------------
激動な人生を送っていると思うあなたへ。
自分自身を諦めそうなとき、
自分の人生に嫌気がさしたとき、
まさに苦しみの中で、noteを開いてくださった
あなたにまず感謝を申し上げます。
一つの目的を背負って生きているあなたに、
きっと誰かがおつかれさまと言ってくれるから、
その言葉を聞いたなら、あなたはもう大丈夫。
どうか幸せがすぐ側にありますように。
もう大丈夫になってきた!って、笑えますように。
思い切り泣けますように。
そして愛に出会えますように。