もう師走だなんて、聞いてたかも。
※2022年12月に書いてそのままだったものを読み返したら案外面白かったので公開しました。
あっという間に師走。
オタクしてただけなのに言うのもおかしな話だけど去年の夏頃から今日まで駆け抜けてきたなぁと、しみじみしているそんな寒い日の夜です。
前回懺悔大会開いたあと心がスッとしたというか、自分のあるべき姿が見えたというか。そんな感じだったのでまた書いてみようかなーという気持ちで書き始めてみました。相変わらず前置きが長い。
前回同様しょーもないというか、結論の出ない話なのでブラウザバックするなら今です。
nonagon~2つの歌~
公演千秋楽から1週間経っただなんて早すぎる。
この公演は彼らの2年間がぎゅっと詰まった、9人による9人が楽しみ帰る場所をここだと再確認して、この9人出会って円神の一人として活動していることを誇りに思っているようなそんな公演のように思えたんです。それぞれ夢を持っている彼らだからこそ、この2年でそれぞれが経験してきたことは全然違うし、かといって円神の一人として9人で過ごしてきた時間も沢山あって。それに、彼らはこの2年で絆を強めて、この9人じゃなきゃならない意味を作り続けてきたと思うんです。最初は理由がなかったというわけじゃなくて、なんていったらいいのだろうか。言葉選びが下手くそで誤解を生んでしまいそうだから割愛するけど、あの頃になかったものが今沢山あると思うんです。
これは懺悔に似たようなものになるのですが、2年前の自分は、自分の人生を優先して受験を選んだから会場の景色を見てないんです。2年前の彼らの決意は形だけでしか知らなくて、彼らやMU3Eが見た景色や空気を何一つ知らないんです。ご時世的なことで会場に迎えなかった人もいるし、これが悪になるわけではないけど、ずっと負い目になってて。あのときの自分にとって、自分の人生が大事だと思ったのは人生の大きな分岐点ではあるので当然な気はするけど、これは円神を応援していく上でずっとついて回ると思う。全てを知ることなんてできないのをわかっていても、彼らがかける思いを”知らない”という理由で片付けることしかできないことが悔しくて。
ただ、これはもう後悔しても仕方ない話だし、逆にあのとき会場にいたとして、今この場所に居続けられたかもわからない。円神のこと好きで良かったって思えたかだってわからない。むしろ、円神を、この9人を好きになったからこそ、この1年見えた世界があって。あのときはまだ全員のことよく知らなくて、始まりを受け取り切れる余裕は自分になかったかもしれない。それに受験もギリギリ何とかなったから言えることなのかもしれない。片方が上手くいったからこそもう片方も上手くいったのではないかって考えてしまう、そんな感じなんだと思います。
それと、瀧澤さんはよく「自分の人生の二の次でいいよ」と言ってくれます。人生をかけてこの道を選んでるのに、本当に優しいなぁって思います。だからこそ、あの時自分の人生を優先したからこそ、今度は瀧澤さんのことや円神のことを優先したいってなってる。もちろんできる範囲でだけど。それで自分も幸せになれるから今はこれでいいんじゃないかなって、優しさを感じながら思うのです。
話は戻りまして、この公演で久しぶりにMU3Eに会って最高だねって感想を話したりまた明日!って言ったり、中高時代の友達には推しの押しつけに付き合ってもらってなんなら大好きなMU3Eとも交流してもらって、それこそもう一つの青春のような時間を過ごせたんです。大好きな人と大好きな人と交流、とっても嬉しかったなぁ。
円神のイベントの後って、楽しかったと感動したとかそれだけじゃなくて、いつも人の温かさを感じるんです。
それはメンバーはもちろんnonaffさんやMU3Eみんなから感じるんです。例えばクリスマスツリーとかたこ焼きとか。あたたかくなきゃ安心出来なきゃあんなことできません。本当に。
こんなに人のあたたかさに触れられる場所って、今までにあったかなってくらい、私にとってとっても居心地のいい、まさにHomeみたいな場所なんです。だからこそ、自分もそうなりたいんです。そんな想いがあるんだなと思って、それでは聞いてください。円神で「Home」(曲振りすな)
Home、めちゃくちゃ大好きな曲になってる。
これは前回書いたnoteから引っ張ってきたやつですが、この気持ちは変わってなくて。むしろ、あたたかく迎えてくれる場所を作り続けてくれるから、自分もそんな場所を作りたいって気持ちのが強くて。まあ、ほんとに無力だし何か出来ることはないけど、気持ちはあるよね。
自分ができること
じゃあできることってなんだろうというお話。
ファンとかオタクって定義が曖昧で何をしてれば名乗れるとか正解とかそんなことはひとつもなくて難しいなと思うけど、
・どれだけ彼が彼らが届けるものを受け取れるのか
・それを届いたよってどれだけ表現できるか
このふたつが、表現者を応援する上で必要だと思うんです。この解釈は違うと思う人がいていいと思う。てか、そもそもアイドル?俳優?アーティスト?表現者?という論争も出てくるし、むしろ同じ考えの人しかいなかったら、多方面で活躍してる彼らだからこその部分がなくなってしまう気がする。
ということでまず整理すると、自分は瀧澤さんのことを表現者だと捉えているということだけはわかった(そうだね)
今までオタクというか誰かの応援をするということを何回かしてきたのですが、その人の職業に縛られてた部分があって。例えば、声優が好きで、声が好きなのはもちろんだけど、アーティスト活動とかラジオを追うことが好きでってなったら、本業のお芝居やナレーションについて自分は興味が無いのか?それは失礼じゃないか?みたいな。よく考えなくてもどれもお仕事としてやってるから失礼も何も無いんだけど。
こんな感じの人間なので、円神のみんなはなんでもやっちゃう、ひとつの職業に縛られることがないのがものすごくありがたくて。瀧澤さんは歌って踊って芝居しての私の大好きなライブパフォーマンス5億点セットみたいな活動をしてくれてるのでほんとに、どの面から捉えてもいいのかなーって思える。
なので私はひとつの役職に縛られない言い方として、表現者と捉えてます。
ちょっと脱線してしまいましたが、ライブにしろお芝居にしろ、板の上という向こう側には別の世界があって(演劇学的にもそう捉えます)、そこから一方的に届けられたものを受け取る。これだけでは自分がここにいる意味を自分で見出すことが出来ないんじゃないかなと思うのです。ただ、受け取るだけでも大きな意味はありますし、誰でも出来る訳では無い。とはいえ、自分の中で"受け取る"という行為自体は大前提で、それをした上でなにかアクションを起こすことが重要だったりするし、舞台上からものを届ける時に重視する点だったりします。
なので、彼らが何かを届けてくれる時、"1番届けたいものはなんだろう"をベースに舞台やライブを見に行って自分が出来る限界まで何かを受け取って、そこから自分がどう感じたのか考えたのか、一つ一つ汲み取ることが出来れば、自分の好きな物だったり信じているものだったり新たな発見だったり、何かが見つかるんじゃないかなって。
何かを見つけるために舞台やライブに行けとは言わないけど、そうなればもっと何かがよくなるんじゃないかなっていう淡い期待のような勝手な願いなだけかも。
幸せってなんだろ。
自分のテーマソングとも言えるくらい大好きな曲、パスピエの「つむぎ」に「幸せの意味と量り売りした命」という歌詞があります。
パスピエ「つむぎ」の歌詞 / 歌詞検索サービス「歌ネット」
https://www.uta-net.com/song/295042/
幸せのために命を売った覚えは無いけど、きっと自分が今やってる事はこの歌詞がぴったりなんじゃないかなと。
好きの理由は沢山あっても、最終的には自分が幸せになれるからに落ち着くから、好きの数だけ幸せがあって。
私は幸せのために生きていいと思います。
幸せのために生きて自分を好きになれればもっといいなって思います。
瀧澤さん、そして円神を応援してる時間は、なりたい自分に近づけて、幸せだなって感じられて、自分を好きになれるんです。
オタク語りに沢山付き合ってくれる友が言ってくれた言葉なんですが
「推しと一緒に成長できるっていいね」
本当にその通りだと思います。少しずつなにか成長出来てる気がするんです。傍から見たら好き勝手やりたい放題なだけかもしれないけど。昔よりたくさんの人と喋れるようになって、1人で色んなところへ行けるようになって、自分のなりたい像に少し近付けたり。
未だになくしものやさがしものは多いけど。
(さがしもの単体のリンク貼れなかった涙)
お互いにいい影響を与えられる
は色んな面から考えて無理だけど、こちらからなにか届けることは出来ないけど、こんな感じで来年もいられたらいいなって思います。
まだOverも九劇コンあるけど。
来年の話をすると鬼が笑うと言うけど。
まあたくさん笑ってくださいな。
またダラダラと話してしまった。
感想あればコメ欄とか↓にでも送ってくださいな。感想乞食なので送って貰えたら想像の100倍で喜びます。喜ぶだけで何もしないんですけど。嘘、ちゃんとお返事はします。
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ということで長々とお付き合いいただきありがとうございました。