小説を書くのは辞めようかな①[創作大賞2024]#お仕事小説部門
この小説は、ももまろさんとの合作小説です。
あらすじ
私は名もない小説家。Kindleや自費出版の作品はあるけれども、著書と呼べるような作品はない。購入してくれた人も何人かいるけれど、ブログのフォロワーの単なる社交だとしか思えなかった。
「あなたの作品はホントに素晴らしい」と言ってくれた言葉も、「あなたの本を買ったのだから、私の本も買ってよね」としか解釈出来なかった。
本を作っても、印刷された本を自分ですべて買い占めて半額以下の価格で売っているというありさま。それでも国立図書館に納品しておけば、遠い未来の読者が私の作品に目を通してくれるかもしれないなんていう、淡い期待を捨てきれないでいた。
冷静に考えれば、私が新たな作品を世に送り出すなんて必要はない。すでに名だたる文豪が一生かけても読みきれない作品群を残している。そういう作品だって百年も過ぎれば、せいぜい良くても著者名とタイトルくらいが記憶される程度。そんな中に私のような無名の作家が1つ作品を付け加えてなんになろう?
考えれば考えるほど、私が小説を書く意味は無きに等しいと思わざるを得なかった。
「あなたの作品をぜひ読んでみたいです」
ブログのコメント欄に書いてくれた人がいた。単なる社交だと思ったが、それでもやはり嬉しかった。私は自分の本が置いてあるサブカル系の書店の名前を告げた。
「この店に私の本を納品しています」と一応コメントを返したが、それからひと月経ってもなんの音沙汰もなかった。
「やっぱり、そんなものだよね」と独り言をつぶやいた。
そんなことがあったことさえ遠い記憶になりかけた頃、ブログにコメントが届いた。
「いや~、探しましたよ。先日あなたの教えてくれた書店に行ってきました。あいうえお順に並んでいたので、真っ先にあなたの名前を探しました。けれども、なかなか見つからなくて。仕方ないからあなたのブログページを見せて『この人の作品を探しているのですが…』と店主に尋ねました。そうしたら、『ああ』と返事をした店主がバックヤードに向かっていきました」
「『あぁ、ありましたよ。この人の本はこれで全部です』と。いや~、あなたの本だけを目当てに書店に行って探したのに、本棚に並んでいなくては売れるものも売れませんね」
やはり納品してもその程度の扱い方しかされないのだろう。本なんて本屋に置いておけば、少なくてもタイトルくらいは読んでくれる人がいるのが当たり前だと思っていた。作品を手にとってもらうことさえも、私には難しいことなのだろう。売れるとか売れないとかいう話以前のことだ。身銭をきっても、私の本を目当てに書店を訪れてくれた人にさえ、私の本を見つけることは一苦労を強いるのが現実だ。
私には1つの信念があった。良い作品は必ず陽の目を見る。作家とは、書くことがすべてである。書くことなしには生きることが出来ず、生活の中心がすべて書くことに集約される生き方しか出来ない人。比類にない輝きを放つ作品を書くことに執念を燃やす人。
なのに昨今の現状はどうか?
誰でもSNSを使えば、ボタン1つで広く世に作品を発表することができる。たとえくだらない作品であったとしても、マーケティングの知識があれば、ある程度の売り上げを作ることはできるだろう。そして、それを助長するかのようなノウハウさえSNSには溢れかえっている。
しかし、私には文学を単なる商品としてしか見ない・考えない作家にはなりたくなかった。売り上げの多寡と作品の価値を同一視している作家は、もはや作家の名にあたいしないとしか思えなかった。作家が商人に成り下がって嬉しいのか?
「いや、今の時代にそんな理想論をかざしてもナンセンスですよ。文学だって売れてナンボですから」と、何度も文学サークル仲間に言われた。
「お前、マジで言ってるのか?」
私は耳を疑った。
「君のような理想論を僕ももっていたさ。けれども現実はどうだい?高邁な文学作品を創ろうとしている僕らは、定職にさえ就くことなく、日々アルバイトに明け暮れているだけじゃないか?肝心な小説さえ書けない日がつづいている。端から見れば、僕たちは単なるフリーターでしかない。文学でカネを稼げない僕らは、作家でもなんでもない。ただの理想主義者に過ぎないじゃないか!」
確かにそうなのだろう。私だってうすうす気が付いていたんだ。でもな、作家たる者、パンに理想を打ち砕かれてはならないのではないか?
私たち作家の役目は、作品を創造しつづけることであって、本を売ることを第一目標に掲げることではない。パンに屈して、売文に身を落とすのは真の作家のすべきことではない!
文学サークル仲間と決別したあと、私が小説を投稿しているブログで「創作小説大賞」というコンテストが開かれることを知った。私も自分の小説を投稿することにした。
ここで素晴らしい作品を書けば、プロへの道が開けるかもしれない。しかし、締め切りまであまり時間は残されていなかった。
私は、まだ出版していない過去の作品に手を入れて応募することに決めた。我ながら良くまとまった作品を仕上げることが出来たと思った。
しかし、投稿してから一週間が過ぎても私の作品には「いいね」がほとんど付かなかった。
「そんなはずはない!」と思って、「いいね」を数多く集めている作品を読んでみた。
私は目を疑った。「いいね」を数多く集めている小説は、およそ小説と呼べるような代物でなかった。
確かに文章としてはうまい。しかし、こんな恋愛小説を読むくらいなら、「椿姫」や「居酒屋」を読んだほうが有益な時間の使い方だろう。いくらうまいとはいえ、文豪の書いた恋愛小説と並べていれば、児戯に等しい駄作に過ぎない。
それに加えて「いいね」を押した読者のほとんどは、作者のフォロワーばかりではないか!
みんな文学をなんだと思っているのだろう?文学の冒涜もここまで来たのかと、私は呆れ返るほかなかった。
しかし、と私は考えた。やはり現代に生きる作家は、パンに屈してでも売文しなくてはならないのかもしれないと。私のように、不朽の名作を書き続けていても、良いプロモーターとの邂逅がなければ、陽の目を見ることがないのかもしれない。
私は自分の作品を多くの人に読んでもらうために「創設小説大賞感想文」という企画に投稿することに決めた。
これは、投稿された作品に対する感想文を書くもので、優れた感想文を書いた者も表彰されることがあるという。私は自分の作品の「いいね」を増やすために「創設小説大賞感想文」をいくつか書いてみることにした。
まず私は、どの作品を読むべきかで悩んだ。私が1番優れていると思う作品の感想文を書きたい。
投稿数が多いから、梗概と第一パラグラフとラスト・パラグラフを読んで作品を選別することから始めた。
とりあえず、20作品を選んでみた。この中から10作品くらいに絞り込んで感想を書こう。
私好みの作品があったが、「いいね」の少ない作品は除外することにした。最終選考に残りそうな作品の感想文でなければ、読まれることもないだろう。勝ち馬に乗らなければ意味がない。
「いいね」の多い作品は大したことがないと思ったが、自分の作品が読まれるためには、自分がいいと思った作品よりも、多くの人がいいと思った作品の感想文を書いたほうがいいだろう。
案の定、私が書いた感想文のビューは瞬く間に増えていった。何本も書いたが、悉く「いいね」を獲得していった。
あっという間に秋になり、中間発表があった。結果は、私の作品も感想文も選ばれることはなかった。
そして、しばらくしてして発表された「創作小説大賞」を獲得したのは、最初に私が感想文を書こうと思った私好みの作品だった。
私の目に狂いはなかったのに、最後の最後で信念を貫けなかった自分を恥じた。
第2話
第3話
第4話
第5話
第6話
第7話(最終話)
こちらのマガジン(↓)に全話収録しています。
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