短編小説 | 煙草
(1)
「翔くんのことが、嫌いっていうわけじゃないの。でも、そういう関係になるのは...ちょっと...ただ、そういう気持ちにはなれないの。ごめんね。きっと翔くんには、私なんかより、もっと素敵な人が現れると思うんだ」
一番最後に聞いた亜希の言葉。
今なら、そういうものなんだろうな、と理解できる年になった。
思えば、当時、僕は女の子のこと、もっと広くいうと、人間の心理を、自分中心の視点からしか、見ていなかった。
相手のことを思う気持ちが強ければ強いほど、気持ちが伝わるんだ、と固く信じていたのだ。
そんなこと、当たり前じゃないか。今まで、ただの友達として見ていた男の子から、急に告白されたって、びっくりして戸惑ってしまうことは、普通のことなんだ。
でも僕は、亜希が僕の彼女になってくれないのは、僕自身の気持ちが、他の誰かより足りないことが原因だ、と考えてしまったのだ。
(2)
最後に亜希と別れたあと、僕はただただ途方にくれていた。気持ちを強く持つこと、そして愛する努力をすること。すべてが無駄だったのだろうか?亜希と、もう一生会えないなんて、生きている価値がないんじゃないか?
自殺しよう、という気持ちが頭をかすめた。でも、完全に亜希と終わったとは、決して認めたくなかったのだ。もしかしたらいつか、という思いもあった。
自殺する勇気を持てない僕は、せめて自分の体を痛めつけて、感情の痛みを緩和することを考えた。
リストカットする勇気なんてなかった。飛び降りる勇気もなかった。情けないことに、僕にできたことは、煙草を吸うことだけだった。
(3)
真面目に生きてきた。煙草なんて吸ったことはなかった。亜希にフラれたのは、19歳だったから、吸ってないのが、当たり前なのだが。
もう二十歳の誕生日が近いから、煙草を吸ったって、誰も文句なんて言わないだろう。二十歳になる1か月前、僕は人生で初めて、煙草の火を点そうとした。
(4)
煙草の火がつかない。なんでだろう。公園のベンチで何回もライターをカチカチやった。
「あれ、お前、不良になったの?」
先輩の中井さんが、いつの間にか目の前にいた。
「はい、僕ももうすぐ二十歳ですから」
「でも、19だろ。いけないなぁ。煙草なんか吸っちゃ。俺は高一から吸ってるからいいんだけど。ははは。」
大して面白くないギャグだったけど、先輩なりに僕のことを励ましてくれてるんだろうな、きっと。
「煙草っていうのはねぇ、息を吸いながら火をつけるの。これ、基本」
「そうなんですね。何回やっても火が着かないから、おかしいなと思ったんです」
なんか、自分でもおかしくなって、思わず笑ってしまった。
「お前も喫煙族か。なかなか抜けられないぞ。覚悟は出来てる?」
「どういう意味ですか?」
「煙草っていうのはな。最初から『うまい』なんて思う奴はいないんだよ。でもな、煙草を吸ってるとき、少し頭がクラクラして、頭の中がちょっと麻痺するんだ。その麻痺している一瞬、イヤなことを忘れることができる。まあ、簡単な現実逃避ができるわけさ。でも、そのうち慣れてくると、頭もクラクラしなくなるし、現実逃避もしにくくなるんだ。でも、気がついたときには、もう遅い。煙草をやめられなくなっているのさ」
「そういうものなんですか、煙草って」
「そういうものなんだよ、煙草って。俺はそうだった。高一とき、親が離婚しそうになった。家の中で、親父とお袋の争いが絶えなかった。だから、こっそり家を出て、煙草を吸い始めた。それがきっかけ。幸か不幸か、両親は、少なくとも表面上は仲直りした。なのに、俺は煙草がやめられなくなった。おかしいだろ」
(5)
19歳で、初めて煙草を吸ってから何十年も経った。私はまだ、煙草を吸い続けている。別に初めての喫煙のときのように、亜希のことを思い浮かべているわけではない。しかし、たまに、亜希のことを思い出す。一服している、そのふとした瞬間に。今も亜希は元気にしてるだろうか?
まだ、未練の火を、私は、ともし続けているだけなのかもしれない。
以前投稿した記事の再掲です。