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戻らない季節
私は若かった頃、一人の老人であった。時が経つにつれて、どんどん若くなっていった。
フィツジェラルドの「ベンジャミン・バトン」。時間が逆行していく物語である。
フィクションなのだが、必ずしもフィクションとも言えない。
赤ん坊の頃は、何もできない。排泄はオムツのお世話になる。相手がなにを言っているのか理解出来ない。夜泣きする。おっぱいを欲しがる。自分のしてほしいことを相手に伝える言葉がない。望み通りなら笑い、望まない時には泣き叫ぶ。しかし、生まれたばかりの人生。まわりの人々は、何も出来なくて当然だと思っているから、イライラする事はあっても、少しでも赤ん坊が微笑んでくれたなら、それで苦労は報われて、吹き飛ぶ。
老人だって、人生の最後は、赤ん坊に戻るだけなのだ。しかし、本人もまわりの人々も、老人が一人で食べたり、排泄できていた記憶があるから、「何で出来ないの?」とイライラをつのらせる。老人が笑っても、赤ん坊のように可愛くない。どんなに苦労して世話をしても、微笑まない、当然ながら「ありがとう」とすら言ってもらえない。老人とて赤ん坊に戻っただけなのに。
赤ん坊と老人とが同じようなものだから、両者に等しく愛を注がなくてはならない、と言いたいわけではない。
人間は生まれて来て様々なことを学ぶが、生涯現役でいつづける人は少ない。ほとんどの人は、老年期さしかかるにつれて衰退していく。
人の一生を季節にたとえるならば、生まれた頃が春、バリバリの頃が夏、そして峠を越して秋になり、死を目前にするときは冬だろう。
自然における季節は、冬が来れば次には必ず春が訪れるが、人間の季節は冬の後には春は来ない。
もう上昇する季節が来ないことを確信しながら、一度きりの冬を満喫することはできるだろうか?
春の若葉が秋に紅葉し、冬にかけて落ち葉になり、踏みしだかれて粉々になる。人間は焼かれて灰になって、わずかに骨が残るだけだ。それが美しいとはどうしても思えない。
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