短編 | 捨ててこそ
男一人ならばどんなにか気楽だっただろう。尼とは、女を捨てたはずの人間だが、女を捨てたとて男になるわけではない。体力は私に劣る。また、宿らしい宿もなく、ずっと歩きつづけてきたから、秋とはいえ、皆やはり汗くさい。
尼たちを引き連れて、信濃国・佐久平を越え、下野国の小野寺というところへさしかかった。その時である。にわか雨が降り注いだ。秋雨である。心身の汚れを落とすにはちょうどよいと、私は思った。私は、雨に濡れるにはちょうどよいタイミングだと思ったのであるが、尼たちは我先に数本しかない傘を奪い合い、そして、御堂の中へ駆け込んでいった。
尼たちは、袈裟衣を脱いで、雨水を絞り始めた。私以外、この天からの恵み雨を楽しもうとするものはなかった。
私よりも、尼たちのほうが、体力的にも気力的にも、つらい思いをしてきたことは分かる。しかし、雨に濡れることが何であろう。丸めた頭が濡れてどうなるわけでもあるまい。
いくら頭を丸めても、尼たちは女の本能を捨てるまでには至っていないのだろう。
私はひとり、雨の中に立ち尽くし、歌を詠んだ。
降れば濡れ
濡るれば乾く
袖の上を
雨とて厭ふ
人ぞ儚き
かく言う私も尼たちのことは言えぬ。尼たちを見て、嘆き、言葉を弄してしまうだから。
「すべてを捨ててこそ」という理想には、未だに遠く及ばない。まだ、「私」という意識さえ捨て去ることができない。道は文字通り、果てしなく遠い。
(参考文献)
栗田勇(著)「一遍上人」、新潮文庫
聖戒(編)「一遍聖絵」、岩波文庫
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