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占いって信じないんですけど信じる時もある。だけどやっぱり信じたくない。


 先日やってみた診断メーカーの占い。名前、誕生日、血液型だったかな?、それだけ入力したら診断結果が出てきた。
  
 読んでみたら、すごく当たっているような気がした。占いってあまり信じないんですけど、今回は妙に当たっているような気がした。


 「当たってる!」と思うと、信じたくはなるけれども、私は信じたくはない。矛盾してる物の言い方だけど、そんな感じの気分。

 信じたくなるのは、自分に思い当たるようなところがあると確信するからであり、信じたくない!と思うのは、たまたまだろうという思いがあるからだ。

 私と同じ誕生日、同じ血液型の人はたくさんいるだろう。そのすべての人が同じ診断結果になり同じ運命をたどる。そんなはずはないだろう。

 血液型、星座、名前の画数だけの占いってたくさんあるけれども、それぞれのことと、その人の身に起こることの間には、因果関係はないだろう。相関関係もないだろう。

 それなのに、「信じたい!」とか「当たってる!」と思うのなぜだろう?
 私が興味をもっているのは、占いが当たるか否かよりも、なぜ人は占いを信じてしまうのだろうかということにある。

 以前、「当たる占い」とその「論理構造」について記事に書いたことがある。
 たとえば、「明日は晴れるか雨が降ることだろう」と言えば、天気予報としての価値はない。確実に当たりはするが、何も言っていないに等しいからだ。

 しかし、占いの場合、なぜか人は信じてしまう。
 要約すれば「あなたは幸福になるか、不幸になるだろう」と言っているに過ぎないのに、「私の言うことを信じて実行すれば、あなたは幸福になれます」と言われたらどうだろう?

 幸福になれば、占い師の言ったことを忠実に守ったからだと考え、不幸になれば、占い師の言ったことを不十分にしか遂行しなかったからだと考えるならば、「明日は晴れるか雨が降ることだろう」という天気予報と変わることはない。

 「この占いは当たっている!」と思った時には、「この占いはすごい!!」と言うのではなく、「なんで当たると思ってしまったんだろう?」と考えるほうが、健全な思考だ。

 でも、何事も結果が良ければいい、ということもある。信じて良かったと思えるなら、それを否定しようとは思わない。人の内心の良し悪しまで干渉する趣味はない。

 ただ私は、占いや宗教に救いを求めたくはない。自分の言葉で自分の世界を構築したいだけ。たとえ端から見て、どんなに不幸に見えようとも、自分がしあわせだと思えるならそれでいい。



https://hoyme.jp/shindan/51807/results/612?s=09


https://note.com/piccolotakamura/n/n08d5a6febadc


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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします