短編 | 浮雲①
私はその時に書きたいことを書いてきました。空に浮かぶ雲のように、心の形は常に変わっていきます。頭に浮かんだ着想は、その瞬間に書き留めておかなければ、もう取り返しがつかないような気がするからです。
毎日見る雲の形は、どれひとつをとってみても、まったく同じということはありません。しかし、似ている雲の形というものはあるものです。たくさん雲を見ているうちに、ある程度、類型化されます。
それと同じように、私の心に日々浮かぶアイデアは、昨日のものと今日のそれを比べてみれば、同じ心に浮かんだものとは思えないほど大きく変わっているということは稀です。けれども、きちんと文字として残しておかなければ、今日の自分は、昨日の自分となにが同じで、なにが違うのかということを忘れてしまいます。だから私は、昨日と大して変わっていない心の形でも、スケッチしておくために、毎日のようにその日に思い浮かんだことを書き留めているのです。
私が文章を書くのは、なによりもまず、自分自身と対話するためです。しかし、独り善がりになってはいけません。だから私は投稿するのです。
なにか書けば、同意であっても、あるいは、反感を持たれたとしても、なんらかの反応があります。
書いたことに、共感してくださる人がいらっしゃれば嬉しいですし。もちろん、「それはおかしい!」という方もいらっしゃいます。批判されることは、あまり気持ちの良いことではありませんが、自らの考察が浅はかだったな、と考え直すきっかけになりますから、それはそれとして甘受します。
しかしながら、私が嫌いなのは、結論的には私と同じでも、そこにたどり着く思考のプロセスがまったく違うのに、「あなたのおっしゃることに完全に同意します」という書き込み。あるいは、私の前提として書いたことと全く異質な前提を持ち出して批判する人。
私が想定した人とは、まるで関係ない人が、私の投稿とは全く関係ないことで、勝手に私にからんでくると、「あなたに向けて書いていないから放っておいて!」と言いたくなります。
繰り返しますが、私は私のために投稿しています。ヨリ多くの人に読んでもらいたいとは思いますが、「読む人が多ければ多いほど良い」とは考えていません。
結局のところ、届くべき人に届いたな、ということが実感出来ればよく、それ以上のことは望んでおりません。
なんだろうなぁ?
「いいね👍️の数」とか「PV」とか、客観的な指標では計れない「実感」というものがあるのです。
同じ「いいね👍️」でも、「どちらかと言えばいいね👍️」とか「なんとなくいいね👍️」とか、「そういう意見もあっていいね👍️」とか、濃淡ってありますね。
私がほしいのは、「あなたのままでいいね👍️」とか「気持ちが大きく動かされたのでいいね👍️」かな。
「どうでもいいね👍️」とか、「とりあえず読んだからいいね👍️」なんていくら集まっても、空しさだけが心に広がる。
かつて私の投稿していた『なぜなぜブログ』に「チクりん」さんっていう人がいたけれど、あの人はいったい何がしたかったんだろう?
今は亡き「チクりん」さんは、自分を大きく見せるために、たくさん「別垢」(別のアカウント)を作って自分の記事に「いいね👍️」をしていました。自作自演してまでブログを書いていて、いったいなにをしたかったのだろう?
…つづく
第2話はこちら(↓)
「浮雲」は、こちらのマガジン(↓)に収録していきます。
「浮雲」は、ももまろさんとの共作小説です。
短編「闇の中に浮かび上がる」の続編になります。
連載小説ですが、それぞれの話を完結した短編小説として読むこともできます。
「闇の中に浮かび上がる」のご感想を、虹倉きりさんが詳細に書いてくださいました。
さまざまなnoterの作品を朗読なさり、一人一人の方の作品を熟読されている虹倉きりさんにご感想を書いていただけたことに深く感謝しております。
ありがとうございます。
https://note.com/kiri_nijikura/n/n5a67377fda69