働き方と物事の捉え方

仕事を始めたバブル直後の頃、徹夜や献身が美徳とされていた風潮が少しあって、その疑問は身近な人の「徹夜で体を壊しても会社も誰も責任取ってくれないよ。
自分を大切にしないと」のアドバイスで大きく変わった。

狭い視野で掘り下げる職人的な氣質の私にとって、
このひとことはとても大きな働き方を考えるきっかけになった。

一番最初に働いた仕事場は、
舞台美術家のアシスタント、古い言い方だと丁稚奉公的な立場。
昭和2年生まれの師匠は、封建制度そのもののような仕事の仕方ではあったけど
物事の基本に学び、原点に立ち返るあり方を
ガッツリと叩き込まれた。

学生時代に大手設計会社に研修生として関わり経験を積めたことは、
その後の仕事環境の中で
俯瞰して物事を見る一因だったと思う。

どんな物事や環境にもプラスとマイナス両方あるけど
記憶に残るプラスを書いてみます。

ひとつめは、
弟子時代から説明もなしに現場に投げ込まれたことで、
わからなければ自分が困る、周りに迷惑をかけることになるから
自分から学びに行く姿勢が当たり前になったこと。
事前に台本を読めば自分の動きがある程度想像がつく。
それでも、イレギュラーな事は常に起きるけど
どうすべきかは自分で考える。
師匠はあの時どうしていたっけ?
と、そんな記憶を辿りながら
自分の中にルールブックが少しずつできてくる。

ふたつめは、
共に働いた姉弟子がプライドがとにかく高くタフな人だったので、
自分の意思を明確にする習慣が無意識にも育ったこと。
舞台やテレビ、イベント現場では
時間勝負で常に緊張がつきまとい
その場を逃すと二度目はない。
ミスをすれば担当である自分の責任だけど、
最終的には雇い主に回っていく。
誰もが自分の持ち場を与えられる中、
自分で判断を下さねばならない局面に必ず向き合う。
ものごとの節目でとても大切なのが、
「今自分はこう考えている」を伝える事。

当時の私にとっては、
周りからの圧力も感じてどうしてこんな目に!と
言いたい事も数多くあったけど、
一発勝負の人生そのもので、
日々真剣に生きていた濃い時代。

負けそうになったり、
辞めようとした事もあったけど
身近な人や、自分では遠いと思っていた関係の人から
掛けてもらった温かな言葉に救われて
ここまでこられたと思う。

どんな仕事も1人ではこなせず、
世の中に必要とされている。

自分は至らない、と諦めるのではなく
必ずその中に光る長所があるから
それを見つけて
可能性の扉を開いていってほしい。

日本はできないことに対して厳しく、
出来ないをやれる、だったり
平均値を上げようとするけど
意味がない。
なぜならそこに適性がないことが多いから。

通勤時間に電車に乗ると
朝から目の光がない人が多いと感じる。

何のために仕事をするのか?
何でこの仕事を選んだのか?

正直な飾らない言葉をひとりで
たくさん書き連ねてみると意外なものが見つかる。


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