夢Ⅰ(6)
Ⅱ
オレンジ色の温かな光のなか。小さな公園が見えた。
公園では子供達が楽しそうに遊んでいる。
遠くで。近くで。笑い合う声が聞こえてくる。
それが、いったいどこの公園なのか、思い出せなかった。
何をして遊んでいたのかも。
皆の輪の中。少年リックも、思いを重ねるように遊んでいた。
居心地が悪そうに、肩から掛けられているトートバッグを庇うようにして。
皆と一緒に、遊んでいた。
トートバッグの中には、とても大切なものが入っていた。
決して他人に知られてはいけない。小さな宝物が。
まただ、頭が重い。
意識が覚醒していくなかで、「頭」「顔面」「胸」の痛みがどんどん存在感を増していく。リックは、うつ伏せの状態で、背中を丸めて勢いよく吐いた。鼻先の地面に飛び出した大量の吐しゃ物は、頭痛や体の痛みにかき消され、波に洗われていく。
浜辺に打ち上げられたリックの体は、生命を取り戻すために吐き。
流されては、また、吐いた。
波打ち際での、霧中の戦いを続けたリックは、朦朧としながらも、自由になりだした体を仰向けて、砂浜に横たわった。
味覚を取り戻した口の中が、苦かった。
夜空には、星が瞬いている。
リックは、涙を流した。
生きている。
嬉しかった。純粋に嬉しかった。
波音を聞きながら。
そうして、静かに月が夜空を登るのを眺めていた。
体は痛んだし、まだ、意識もすっきりとはしていなかったが、リックは「行かなければ。」と思い、ゆっくりと立ち上がった。不規則な鳥の鳴き声が、波音に合いの手を入れ、砂浜が、海から森を守るように両者に寄り添い、緩やかな曲線を描きながら、森の陰に消えている。
可愛らしい草花、甲虫や鮮やかな羽の虫、そして、獣の痕跡、踏み込むと森は様々な生命で溢れていた。リックは、森の中を、低木の脇や踏みしだかれた草々の、獣が通ったであろう轍を選んで進んだ。まずは、水場を見つけるつもりだった。
自分以外の生き物の気配は、とても新鮮で、姿を見かけることは無かったが、その存在を肌が感じていた。
影の化け物のことは考えないようにした。今まで感じたことのない高揚感を覚え、体の内が少しだけ熱くなった。「狩猟本能」心の中で言葉が浮かび、途中、使ったこともないのに、武器になりそうな太めの木の枝を拾ったリックは、少し強くなったような気がした。
行進の疲労が体に馴染み出したころ、森が開けて川のほとりに出た。さっきの海に流れ込んでいるのだろうか。さらさらと澄んだ水が空から注ぐ光を受けて、流れに合わせて輝いている。
リックは、木の枝を脇に置くと、足先から川にザブザブと浸かった。
顔や口、腕をさっと洗うと、傷つき火照った体に川の水が優しくしみ込んだ。掌に掬い上げ、喉に流し込む。甘く冷たい。
足先を川の流れに預け、リックは川辺に腰掛けた。
川の中で姿を変える、月明かりに、影の化け物の言葉を思い出していた。
「元の世界に戻りたくはないか。」それは、待ち望んでいた言葉だった。とても残酷な。リックが、ずっと、触れないようにしていた言葉だった。だからあのときは、瞬時に言葉の誘惑に魅了され、切実に「戻りたい。」と思った。結果として、帰ることは出来なかったわけだが、仮に帰れたとして、一体どうなっただろうか。「僕は、あまりにも長い時間を『影の森』で過ごしすぎた。」おそらく、一年以上。もしかしたら、二年以上経っているかもしれなかった。元の世界に戻れたとして、現実社会に馴染める気がしなかった。今いるこの森も、普通の森を装っているが、さらに深みにはまって行っていることを、肌でひしひしと感じていた。
「死んでいるのかもしれない。」と思ったこともあったが、確認する方法が思いつかなかった。
肌に触れる夜の風が、心地よく温かかい。
内容物を出し切った胃が空腹を告げている。木の実を探して食べようかと考えたが、もう一度川の水を胃に流し込み。脇に置いていた木の枝を拾って、立ち上がった。ここからは、川沿いを上流へ向かって進むつもりだった。どこまででも。空腹がどうしようもなくなれば、木の実を食べ。眠くなれば、川辺の木陰で寝ればいい。あてはなかった。
気持ちも新たに、第1歩を踏み出そうとしたとき。対岸の木々の隙間から1頭の動物が静かに姿を現した。馬のような外見をしたその動物は、背中から流れるような虹色の毛並みを足関節のあたりまで生やしており、毛の無い首周りは金色の鱗のようなものに覆われ、頭には孔雀の羽のような派手な鬣を冠していた。
澄んだ大きな目が、リックをまっすぐと見つめている。
脳裏を影の化け物の記憶が過り、体が強張る。すると、動物の後ろの低木の枝がカサカサと揺れ、もう1頭、2頭と続いて出てきた。あとから出てきた2頭は、地味な色をしていて最初の派手な1頭よりも、少し小さく感じた。後から出てきたほうは、雌かもしれない。
最初に出てきた派手な1頭の視線は、リックの手に握られている木の枝に注がれているようだった。リックはその視線に気付き、急いで、しかし静かに、手にしていた木の枝を地面に置き、ゆっくりと両手を上げた。リックとしては、問題は起こしたくなかった。敵意はありません。微塵も。
すると、意味を理解したのか。後から出てきた2頭がゆっくりと川辺に近づき、川の水に口をつけ、こくこくと飲みだした。2頭が水を飲んでいる間も、派手な1頭の視線はリックに注がれていて、張り詰める意識の中で目の前を流れる川音を聞き分けることも、リックには出来無かった。水を飲み終えた2頭は、来た時と同じように、静かにもと来た森へ姿を消し、川辺には、派手な1頭と両手をあげたリックが残された。
脳内では、影の化け物に襲われたときの情景が繰り返し再生された。あの恐怖は、リックの心に深く刻まれていて癒えるのには、まだまだ時間がかかりそうだった。この動物も、今に襲ってくるのではないか。その不安が顔や、腰の引き具合に出ていた。
その姿を哀れに思ったのか。リックのことをじっと観察していたその動物は、静かに頭を低くし、丁寧に「ついて来い。」とでも言うように、首でもと来た森を示すと、静かに歩き出した。
リックは突然の、人の様な仕草に戸惑った。
気付かれないように、この場を立ち去ることも考えたが、行く当てのなかったリックは、恐る恐る、後に従うことにした。
月明かりに鮮やかに輝く、その動物から十分な距離を保ちつつ。
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