2019アニサマ総括

これを9/2の6:00に書いている。つまりは3日目が終わって知り合いの愚痴も終わって、個人でオタ系の飲み屋で若い娘に愚痴った帰りということだ。
ちなみに歌舞伎町のオタ系の店では1人も「アニサマ」の単語は知っていても中身は知らなかった。相手の平均年齢は23歳。それがリアルの現実だ。
angelaがねーと言ったら誰も知らなかったのも驚いた。いやリアタイでやってるぜ?でも知らんというので調教はしてきた。方法は秘密なのだが。

2019「STORY」 色々思うことは多いだろう。特に古参(僕は2009年からなので入るかは分からんが)にとっては非常に微妙なイベントだった。
いやあえて言おう、「カス」であると。

アニサマの「STORY」を打ち出すならば連続性が無ければしようがない。
物語とはプロットであり、村上春樹的に言えば、物事の全てには「入口」と「出口」が必要なのだ。
では2019のアニサマにそれがあったかと言えば、「無い」としか言いようがない。
あえて言うならば物語を断ち切ったというべきだろうか。しかしそれを「STORY」と呼ぶのはあまりに乱暴だ。
物語には常に継続性が必要なのだ。終わらせられるのは始めた人間だけなのだ。

しかし、だ。

総体的に見れば酷かったと評すべきアニサマなのだろう。だがその中身は素晴らしかった。
オーイシお兄さんは2日間に渡って限界で頑張ってくれていた。京アニ事件の余波もある中でfhanaの佐藤さんは3日間、テーマソングを弾いていた。
そんな存在は今までのアニサマにはいなかった。
蒼井エイルは「禊」をすましたのだろうかと問うのも愚問だろう。3日目で彼女以外にトリをつとめられる人間はいなかったのも明確な事実だ。

我々(一応僕も)の望むことは簡単だ。angelaを、JAMをトリにすればおそらくは近年の中でも最良のイベントになりえた年だっただろう。
ただ、そんなことを関係者は百も承知で、それを外してきた。もちろんその結果がどうなるかは誰も知らない。
不満は残るだろう。ただ彼らはそれを織り込み済みで決定したのだ。
決定に至る要素は推測する側にとってはキリがない。陰謀論紛いまで含めてすべては藪の中だ。
そして過去のアニサマに愛着がある人間が怒るのも当然だろうと思う。
特に15周年やら物語やら歴史をことさらにMCで語る光景をみたならばなおさらだ。
いやこの構成と展開とコラボのどこに物語は存在するかと言われれば「オソマツ」と言わざるえないし僕もそう思う。

だが、だ。ここは栗林さんの言葉を思い起こしてほしい。「アニソン」は継続されて歌われることに価値がある。
これは僕たちが経験してきた実感であり、歌手の人が語る現実なのだろう。素晴らしいことだと思うし、未来にもそうあってほしい。

そしてきっと「アニサマ」も同じなのだ。
だからこそ、アニサマを好きならば今のこの瞬間さえも後世に継続すべきなのだ。
歴史の評価はすべからく後世が決めるもので、今もその流れの中の一部でしかない。
僕たちは「今の」アニサマの、昔から信じて愛してきた「アニサマ」を、変わらずに信じて通うだけしかないのだと思う。
誰かを悪人にして批判しても何も生まれない。それがこの先続くとも思えない、有益とも思えない。

3日目に僕は内田真礼さんの「私はトリをやりたい」という言葉に救われた。涙が出そうになった。というか泣いた。
あえてか知らずか別として、アニサマというイベントを自分の目線で考えて主体的に話してくれた人が今年のアニサマにどれだけいただろうか。
だから僕は内田真礼が「トリ」をつとめるまでは、身体や金銭といった事情が無い限りは見届けようと思った。

魅力的な人なので今の風潮で結婚・休業に至る可能性も無いとは言えないが。

アニサマに出てこいと言ったKATSUさんがいて、それを受けた亜咲花さんがいて、300LVから見ていた真音さんがいたわけだ。
それは偉大なるアニソンの先達が成し遂げてきた結果なのだと思う。
今年それが紡がれたならばベストだったとは思うが、ここで繋がらないことも次への伏線なのかもしれない。

僕は今のアニメやアニソンや日本文化そのものに非常に悲観的だ。おそらく普通の人よりも遥かに悲観的であると思う。


それでも今日のアニサマは素晴らしかった。愚痴は別で言う。偶然に3日目の座席で恵まれたからこそ見えた光景を語る。

MOTSUさんは所属が協賛を離れたときも参加してくれていた、アニサマをおそらくは好きで大切で来てくれている一人なのだろう。
そうでなければyoutubeの動画を仕込んだりはしないよね。
ラストのテーマソング。ラップの入りが難しいバラード調。
ずっと彼の右手はタイミングを図っていた。歌詞が即興なのか用意されたものなのかまでは分からない。
しかし彼はマイクを持っていてもずっとリズムを合わせ、そして流れるようにアニサマバンドギターの横に移動し、座り、歌ってくれた。僕はあんなに格好いい人をほとんど知らない。

奇しくもZAQさんも初めは同じ側に立っていた。でも彼女も気が付けばそれが当たり前のようにテーマソング担当の佐藤さんのピアノの横にいた。
アニサマのテーマソングにかかる重圧は計り知れない。それが理由だったのかさえ僕にはわからない。でも彼女は移動してそこにいた。

もちろんこれらは指示があっての演出なのかもしれない。しかし僕にはそんなことはどうでもいいくらいに嬉しかったのだ。

きっとアニサマを好きな出演者の人達がいる限り、アニサマは続くのだろう。
影山さんや水樹さんや色んな人の思いの結晶が、時代とともに様相は変化したけれど、根本は続いているのだ。

金銭を払って1日座ったり立ったり振ったり泣いたり怒ったりする我々は遥かに自由だ。そしてだからこそ応援するのも自由なのだ。

歌手さんで参加したくても出来ない人もいる。それは様々な要因に起因するのだろう。
そのことに比べれば我々はいかに好き勝手な身分なのだろうか。
だからこそ、好きになり、批判して、でも最後まで愛して、そして自分にとっての結末を見届けるのが責務なのではないだろうか。好きになったからには。

2019年、アニサマ「STORY」。関係された全ての方々、お疲れさまでした。


etc.すみぺさんは2回くらい目が合ったので愛してます。多分愛されてます。

etc2.オーイシお兄さんがSKILLの時に延々と眼鏡を振っていて、目の前の僕も眼鏡なので、合わせるべきなのか迷ったけれどやれませんでした。
2029年のアニサマでは合わせます。


ではみなさま良いお年をー

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