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Gabyの思い出

ある日の夕方の電話

1週間ほど前のこと、滅多に鳴らない自宅の電話が鳴りました。大抵は宣伝なので鳴らしっぱなしで無視することが多いのですが、ふと電話器を見ると知り合いの名前があったので出ました。

その電話で知らされたのが15年以上前から10年くらい前まで断続的にお世話になったある方の逝去でした。年齢を考えれば「少し早いけれどまあ仕方がないかな」という状況でしたが、夫がかなりショックを受けていました。夫はたまたま1週間休暇を取っていたこともあり、夫婦で葬儀に伺うことにしました。

非常に愛された天使のような人

ガブリエル(愛称Gaby ガービー)の名に相応しく、たくさんの人に愛された天使ような人でした。我々もその笑顔に癒されたことが何回あったことか…。ここ10年くらいほとんど顔を合わせることがなく過ぎていましたが、いつでも会えると思っていたのもあって、積極的に会いに行かなかったことをちょっと後悔しています。

長いこと生活苦の移民に気持ちをかけていた方で、奥さんと一緒に週に一度移民対象の食事会を企画するなど、慈愛に溢れた方でした。それも私が「天使のような人」と書く理由でもあります。

葬儀の間中考えた

葬儀の時、このトップの画像が見える場所に座っていたのですが、色々考えました。
息子さんたちが「父は道標であった」と、具体的な例も含めて父親から伝えられた人生の糧を語っている言葉を聞いて、私はこれだけのことを子供たちに伝えられているだろうか? と反省したり、Gabyがやってきたことを色々思うにつれて、今度は我々の世代が若い人たちを積極的にサポートする時代になったんだ、時代は移り変わったんだと認識するに至りました。

その思いは、葬儀の最後に奥さんに挨拶をする時に確信に変わりました。恐らく15年ぶりに会う奥さんは、看病疲れもあるのか呆然としていらして「歳を取られたな」と感じたのです。

彼らの活動をそのまま引き継ぐことは今の私にはできないけれど、彼らの思いを引き継いで生きていきたいと思いました。

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