作曲家・西山淑子さんインタビュー②
「音楽と香りで綴る 金子みすゞとその時代コンサート」の作曲家
西山淑子さんのインタビュー第2弾です。
今回は西山淑子さんが音楽の道に進む過程をお聞きしました。
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辻田(以下T);西山さんの音楽はいつから?
西山さん(以下Nさん);ちょうど小学校に入ったときにピアノを始めたの。
おばあちゃんと一緒に住んでいて、女の子で(私が)初孫だったんですね。
私の上に兄がいるんですけれど。
で、おばあちゃんが女の子の初孫ということで喜んじゃって。
わたしをペットのように連れ歩いたのね(笑)
おばあちゃんがね、日本舞踊とかお三味線、お琴とかお茶、お花、
ホントに和趣味の人だったのね。
その影響で、私が幼稚園生の時に日本舞踊と
お三味線のお稽古に通わされたんですね。
でもそれがどうも嫌だったらしくて
あまり記憶がないんですけど、
泣いて騒いで。
それで嫌ならしょうがないね。
じゃあ、お三味線が嫌ならピアノでもさせようか。
T;そうなんですね
Nさん;女の子なんだからね、お稽古ごとの1つでもさせなきゃと
なんかそういうどうでもよさそうな動機なんです。
T;エレクトーン(の道)に行こうと思ったのはなぜなんですか?
Nさん;小学校1年の時にピアノのレッスンを始めたわけなんですね。
小学校6年のときにエレクトーンも始めたんです。
それでエレクトーンが楽しくてね、
もうエレクトーンに夢中で、もう「命」みたいになっていって。
でもピアノもやめたわけじゃないんですけれどね。
その当時の先生だからクラシック至上主義というか
『あんな楽器やってんの?』とか
もう、けちょんけちょんに非難されたんですよ(笑)
で、その頃に『音大に行こうかなぁ~』ってなんとなくポワンと思ったのね。
でもピアノの先生が
「あなたね、エレクトーンなんかやっていたら
ピアノ科なんて無理だから。
音大に行きたいんだったら作曲科にでも行きなさい』って言われたの。
T;そうなんですか!?
でも(ピアノ科じゃなくて)かえって良かったんですね。
Nさん;そう、今となってはすごい感謝なんですけれど、
その当時はね、非難されて「はい、そうですか。分かりました」
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当時はエレクトーンが邪道のような思われ方だったんですね。
次回は卒業後の職歴をお聞きしました。
「音楽と香りで綴る 金子みすゞとその時代コンサート」は
2020年10月25日(日)15時~開催!
詳細はサイトにて!
https://saipon.jp/h/misuzu_concert/
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