『嫌われた監督』を読んで
落合博満さんの大ファンを自負する自分。
だからこそ、『嫌われた監督』を読んだ自分の気持ちを、自分の言葉で正直に書きたいと思う。
最初に、
『嫌われた監督』というタイトルを見た時、「読むべきか、読まざるべきか」と考えた。
著者の鈴木忠平さんよ、これ失礼すぎるタイトルじゃないか?
という「怒りに近い感情」をもったからだ。
私は、落合博満さんが中日ドラゴンズ監督に就任してから勇退(解任ではなく勇退と書く)までの間、親会社のスポーツ紙を新規購読し、テレビや雑誌もチェックしていた。
勇退翌月に購読はやめた。
中日ドラゴンズの試合も、テレビや球場でできる限り観戦し、試合結果と気になる記事のスクラップノートも作っていた。ノートは30冊ほどになった。
あれほど真剣に『落合監督とプロ野球』を見続けた日々はなかった。
思案した結果、『嫌われた監督』を買うことにした。
読んで頭にきたら、読むのをやめよう。
捨てるのは勿体ないからブックオフに売ろう。
正直なところそんな気持ちで読み始めた。
『プロローグ 始まりの朝』を読んだ時点で、読前の感情は完全に消え失せた。
新聞社に入って四年目の記者だった著者が、取材という「仕事」を通じて落合監督と接する時間の中で、その本質に触れ、自身の在り方や仕事に対する考え方を変えてゆく物語だと想像できた。
私が最も印象に残った文章は、プロローグにあった。
「落合を取材していた時間は、野球がただ野球ではなかったように思う。」
「ある地方球団と野球に生きる男たちが、落合という人間によって、その在り方を激変させていったあの八年間を-。」
私はこう考えた。
監督 落合博満の本質を知ることができる。
著者 鈴木忠平の変化を読むことができる。
自他共に認める「ザッカン記者」が「落合という男を書いてみたい」という衝動にかられるまでになり、書き上げた本。
私にとって永久保存の一冊になるはずだ。
私は『落合監督とプロ野球』を真剣に見続けたあの日々を思い出しながら、一字一句読み進めていった。
私が、八年間見続けて思っていたこと。
落合監督の考え方は、
最初に「個」があり、次に「情」があり、
最後に「理」がある。
著者の詳細な取材記録が元になったこの本を精読して、私が思っていたことは間違ってなかったと確信した。
川崎憲次郎投手を開幕投手に指名したこと。
森野将彦選手をひたすら走らせ、自らのノックで徹底的に鍛え上げたこと。
2007年日本シリーズの継投。
WBC ボイコット疑惑。
福留孝介選手、川上憲伸投手のメジャー移籍に対する反応。
和田一浩選手にかけた言葉。
トニ・ブランコ選手にかけた言葉。
それらは全て落合監督が「選手個人を第一に考え」「情を入れて見つめ」「理詰めで考えた」結果だ。
故に、落合監督に選ばれたレギュラーの選手たちは、相手チームと戦うだけでなく「自分との戦い」も強いられる。
「自分との戦い」とは言い換えれば「孤独との戦い」だ。これはきつい。
でも、本当の強さとは「自分(孤独)との戦いに勝つこと」ではないだろうか。
だから当時の中日ドラゴンズは強かったのだろう。
私が涙した章がある。
『第10章 井手峻 グランド外の戦い』だ。
中日ドラゴンズ取締役編成担当(当時)井手峻さんは、定例役員会で落合監督に批判的な親会社役員からの問いかけに「落合に任せておけば大丈夫です」と答えた。
「おそらく説明してもわかってはもらえないだろう、と井手は思っていた。」
「落合に任せておけば、大丈夫です-井手が役員たちにそう繰り返すのは、井手しか知らない実体験に基づいた根拠があったからだ。」
実体験に基づく根拠とは、1989年1月半ばに起きた落合博満選手の「舌禍事件」で、落合選手の本質を知ったことだ。
落合選手はメディアも球団もチームメイトからも「孤立」した。
ペナルティとして球団主導の「筆談取材」に対しても、落合選手は正面から受け答えた。
二軍キャンプ参加となった落合選手。
当時球団総務部二軍担当だった井手氏は、キャンプで落合選手と深く接することになる。落合選手は「反逆者」ではなく、卓越した野球論、契約の世界に生きるプロ野球選手としての真っ当な考え方と合理性、人間性を持っていると知った。
「球団と契約したプロ選手を縛るものは契約書のみであるはずだ、契約を全うするためにどんな手段を選ぶかは個人の責任であるはずだと、落合は言った。
それなのになぜ、当たり前のことを言った自分がこうも批難されるのか。
落合はグラスを手にそう語った。目に涙が浮かんでいた。
井手はその涙を見て気づいた。
落合はまだ戦いをやめていない…。自らの主張を貫いているのだ…。」
読みながら、私の目にも涙が浮かんだ。
落合選手は個人事業主であるプロ野球選手だ。
そもそも不条理な厳罰制裁に対し、プロ野球選手として当たり前のことを言ってなぜ批難されるのか?
批難する側こそおかしいんじゃないか?
無性に腹が立ち、悔しい気持ちになった。
1989年シーズン、落合選手は打率. 321、本塁打40本、打点116で史上初の両リーグ打点王という圧倒的成績を残す。
「井手はまるで孤立をエネルギーにしたような、その無言の勝利に戦慄した。
孤立したとき、逆風のなかで戦うとき、落合という男はなんと強いのだろう。」
これ以上に落合博満さんの真骨頂を表した言葉はないと、感動すら覚えた。
落合選手はシーズンを通じて球団や監督や世間と戦ったのではなく、自分(孤独)と戦い続けたのだと思う。
落合監督になってもその戦いの繰り返しだったのだろう。
『嫌われた監督』を読み進めるうちにこんなことを考えるようになった。
会社、学校、世間などの集団の中で、常に周囲の顔色を伺い、何の疑いももたず大勢が認めるもの認め、「同じ」を是とする仲間といっしょにいることは正しいのか?
『エピローグ 清冽な青』を読み終えた私が出した答えは「NO 」だった。
中日の担当を離れ、名古屋から去ることになった著者が監督を勇退した落合博満さんから言われた言葉、
「俺の話をすれば、快く思わない人間はたくさんいるだろう。それにな、俺のやり方が正しいとは限らないってことだ。お前はこれから行く場所で見たものを、お前の目で判断すればいい。俺は関係ない。この人間がいなければ記事を書けないというような、そういう記者にはなるなよ」
落合博満さんの考え方が集約された名言だと思う。この言葉を忘れないでいよう。
『嫌われた監督』を読み終えた時、清々しさと淋しさを感じた。
それは2011年11月20日、日本シリーズ第7戦を観戦し終えた後と同じだった。
ひとつだけ違うのは、
いつだったか写真で見た落合さんの愛車が、『周りとまるで調和しない赤と青の愛車』だったことを読了後に思い出したことだ。
私はますます落合博満さんのファンになった。
そして『嫌われた監督』は私にとって永久保存の大切な一冊になった。
ブックオフに売ることなどあり得ない。
最後に、
著者の鈴木忠平さんと文藝春秋社『週刊文春』編集長の加藤晃彦さんに感謝の気持ちを伝えたい。
素晴らしい本をありがとうございました。
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