ピアニカたろうの『ピアニカを吹きながら』#7「談志のはなし」
ピアニカたろうです。
最近読んだ本を紹介します。
よかったらおつきあいください。
『談志のはなし』立川キウイ著
少し前、BSプレミアムで『立川談志 71歳の反逆児』というドキュメンタリー(再放送)を初めて観ました。
「71歳の落語家」が「落語」に向き合う姿は「反逆児」どころか、
まっすぐで正直で、「落語」に殉じるくらいの覚悟を持った人じゃないか。
立川談志をもっと知りたい。
そう思い、YouTubeで立川談志さんに関する動画を手当たり次第観ました。
次に、立川談志さんについて書かれた本をネットで探したら、ご本人の著書含めかなりの数が出版されていることを知りました。
その中で、立川キウイさんの『談志のはなし』という本を発見。
立川キウイという名前🥝
『談志のはなし』という、ストレートなタイトル
この本、読みたい‼️
即、ネットで注文。
届いて即、読書開始。
立川キウイ(本名 塚田洋一郎)さんは、
1990年12月立川談志に入門、15番目の弟子。
前人未到の16年半の前座生活(破門3回)。
2007年7月二つ目昇進。
2009年に最初の著書『万年前座 僕と師匠・談志の16年』を刊行。
2011年に著書を認められ、前代未聞の出版による真打ち昇進。
2020年で落語家生活30周年を迎えた落語家。
『談志のはなし』を読み終えた後の感想は、
買ってよかった!
この本に落語の話は一切ありません。
普段の立川談志師匠について書かれていて、それがこの本の最大の魅力です。
食べ物を決して粗末にしなかった談志師匠。
客席で退屈して泣き出した子供のお母さんを気遣い、談志師匠がかけた言葉。
36歳で亡くなった弟子の遺影の前で、談志師匠が語りかけた弔辞。
「修業とは理不尽に耐えることである」弟子への試練の幅が広く深く大きく、さわやかに健やかに無茶で無理だった談志師匠。
上野の鰻屋の入口で自身の師匠である柳家小さん大師匠に会った時の談志師匠。
談志師匠とキウイさんのお母さんの電話での会話や、お中元のお礼状という形で書いたキウイさんへのメッセージ。
談志師匠の病気(ガン)との向き合い方。
声を出せなくなった「(無言)」の談志師匠。
夕焼けの頃合いに練馬の畑を通って銭湯に向かう談志師匠とキウイさん。
キウイさんが談志師匠に買ってもらった最初で最後のアンパンと牛乳。
前座生活16年半というキウイさんだから書けたと思われる談志師匠の姿やエピソードを知ることができるんです。
この本には談志師匠以外にも立川流の落語家が登場します。
キウイさんの兄弟子にあたる立川左談次師匠と桂文字助師匠のエピソードを紹介します。
出番前のキウイさんに「持ち時間を半分にしろ」と意地悪を言った人の前で、
「キウイ、お前は持ち時間キッチリやれ。もし時間が足りないなら俺のを半分やる」
と言って、その人を黙らせた左談次師匠。
「どうにもならない時ってある。そんな時はヘタに動くな。ジッと辛抱してろ。いつか何かチャンスがきたらパッと飛びつけ。辛い上に辛いことがおきて、もう沢山だって思っててもまだ辛いことがあったりする。でも辛抱だぞ。最後まで辛抱できたら勝ったも同じだ」とキウイさんにシミジミ話してくれた桂文字助師匠。
談志師匠の元で修業した兄弟子ゆえの、弟弟子に対する愛情を感じ、本を読みながらホロリとさせられました。
文字助師匠の言葉はいまの自分にも当てはまる気がして、励まされました。
読み終わると、ますます立川談志ファンになっている自分がいて、
本を通じて談志師匠や左談次師匠、文字助師匠、そして当時のキウイさんにお会いしたような気持ちになりました。
間違いなく、何度も読み返す本です。
立川談志師匠について全く知らないという方にもオススメできます。
そういえば、名前。
どうして「談○○」とか「志○○」ではなく「キウイ」になったんだろう?
他の候補に「ヘチマ」「ひょうたん」があったと本に書かれていたけれど…。
気になる。
これからも立川キウイさんに注目したいと思います。
では、今回のnoteはこのあたりで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
たろう