初めての浜田省吾ライヴの話。
箸休めをもうひとつ行きますね。
はじめに、以下に書く文章は、2007年6月22日某所からの転載ですので、出来る範囲で注釈も付けますが、その頃のことや、文章中に書かれる1990年8月16日前後のことも思い出しながら読んでください。よろしくお願いします(表に出すの恥ずかしいであろうに)
浜田省吾のツアーブログで、田家秀樹さんが登場した上に90年8月15日の話題が出てきたとあっては思い出されるこのネタ。
語ってしまいましょう。
省吾にここまでのめりこむきっかけの一端になっているのが田家さんです(ってこの方お名前なんて読むの? 「たけ」さんだと思ってたんだけど違うっぽい? ご存知の方教えてください!→注釈1、これは解決しております)。
「陽のあたる場所」大好きさ!(後に「これって今で言う腐女子に受けるだろうな」とは思ったが→この種の勘が稀に働くことがあって、こういう記事を仕事でもそうでなくとも書けたらなと思ったことがある。ジェンダー問わず)
その後90年のツアーが始まって、夏。
原宿に買い物に来てたんだけど、そういや今日コンサートだな、入れないだろうけど会場行ってみっかと行ってみたら、会場に打ち込まれたとかですごい騒ぎ。
でもその騒ぎの中、「明日午前7時までに来たら先着30名に当日券出るよ立ち見だけど」という情報をつかんだので、翌朝早起きして会場へやってきた。
到着してすぐ名前を書く。22,3番目。微妙。
それから8月の都会の炎天下の中待ち続けて、チケットを手にできたのは午後4時だったかと。
この時チケットを手にしたのは大半が「ダフ屋」で、今思うと正当に手に入れているので仕方ないのですが、当時は彼らにすごい嫌悪感を感じたものです。
で、一番高いところからはじめて見た省吾!
というよりこの時のインパクトは、この頃普段プロ野球を見るとたいがいやってたウエーブをここでやったことですか(笑)。覚えてるひともいるよね?
この頃の私にとってプロ野球というのは、けっこう日常に近い「ケに近いハレ」だったので、「ハレ」であるコンサート会場でやるというのがとにかく驚きでした。
まあでも聴きはじめて1年10ヶ月くらいなので。
コンサートで最も感動したのが2003年5月のジャクソン・ブラウン中野サンプラザだというのは……ここで書いちゃバレバレだっての。この時のレポートははてなブログにあるので見てみてね? 後は省吾記事は2006年7月のはてなかな?
某所の某浜友のところでも書いたけど、今ど貧乏なので、早く財政立て直して、大台に乗る前に再び省吾を見たい!
→2007年はライター仕事をしたり、バイトに行ったりして、貧乏暇なしで、とある趣味をやる時間もなかったです。そのまま大台を超え、この次に省吾のライヴを見られたのはなんと2016年1月のチャリティでした滝汗 ライター仕事はまだやる気あるのでどなたかくださいお願いします。歴史やオタク方面、漫画ネタなどをやりたい。
すみませんこの辺で終わります。他の記事も読んでいただければ幸いです。
皆さん良い週末を!
自分と大切なひとたちが幸せでありたいと思ってます。一部、共感できない方が幸せな内容もありますが、お読みいただいた皆さま、ありがとうございます。自立の助けと執筆環境の改良、資料の購入に繋がるのでよろしくお願いします。