流動的2024年版「自分にやってほしいことリスト
2024.1.3
明けましておめでとうございます。
大晦日から体調を崩しておりましたが、今やっと回復率70%くらいのところまで来ました。
新年の始まりから本当に色々ありますが、一旦それはそれとして、変わらず好きなことだけを書いていきましょう。
本当は2024年に自分がやろうとしていることを書きたいのですが、まず言い訳からズルズル書き始めてみます。
文字が追い付かん「思考」
思考というのはなぜか、手が文字に起こすよりも圧倒的にスピードが速く、やっと文字に起こしたと思えばとっくの何か月も前に考え終わったことだったりする。
でも意外と同じことを何回か考えてはその思考をブラッシュアップしているような瞬間もあり、今まさにその状況にあるのが「2024年 やりたいこと」という思考。
もちろん現在思考中なので、突然新幹線のごとく頭の中にビュンと入って来てはまたすぐに抜け、また何かのタイミングでビュンと現れるので、とても真剣に考えているわけではないのだけど…。
なので、そんな流動的な内容だからこそ文字にして断定させたくないよなあ…と思いつつ、今キーボードをパチパチと叩いている。
「『目標』=やらなきゃいけない」 にしない
私という人間はやる気すらも非常に流動的で、今やりたいことが明日もやりたいこととは限らない。
今日まで好きだったことが明日にはすっぱり気持ちが消えているなんてことも良くある。
例え今「2024年 やりたいこと」なんて考えてたって、もしかしたら明日にはそれらが「2024年 最もやりたくないこと」になり得るかもしれない。
だから出来る限り、タスクのように「やるべき」と言い切ることは避けたい。「~べき」という言葉が自分をもっと不自由にしている気がする。
正直目標なんて出来ても出来なくてもいいし、「出来れば最高!」くらいなものをたくさん頭に思い浮かべておけばいいと思う。
とはいえ文字にしている以上は人の目に入るので、どうしても受け取られ方に理想を抱いてしまうし、「ちゃんと伝えなきゃ」と勝手に自身にプレッシャーをかけていたこともある気がするけど、誰が見ているかなんて私には一切知りようのないことだし、つまりもういっそ、私の世界の中ではそんなことはどうでもいいということにすればいい。
今回ばかりは私のやりたいことと、私の考えていることだけが正解だと思うことにしよう。
以前WAIS‐Ⅳを受けた時に言われた
「その時その時に好きなことを選ぶ人生が一番合ってると思います」という医師の言葉がここでやっと理解できたかもしれない。ありがとう先生。ありがとう人生。
流動的「2024年版自分にやってほしいこと(仮)」
なので(?)、今年に関してはっその時その時に思いついた「2024年やりたいこと」を本当に殴り書き程度に書き残しておくことにする(途中で項目が消えるかもしれないし、そもそも増えないかもしれないので生温かく見てください)。
明日、1週間後、1ヶ月後に見返して、「え、やりたくない…」と思ったリストは後々消すかもしれません。まあ、その気分の移り変わりを見るのも面白いかなと。
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