今でも思い出す、名前を忘れてしまったタイの女の子の話
私には忘れられないタイ人の女の子がいる。
彼女との出会いは私が9歳のとき、
春休みに行ったタイのカンチャナブリーの孤児院で出会った。
そこは、刺繍をしたり手織りの布を使用して製品を生産するフェアトレードの製品を作っているところで、10~20人くらいの子どもたちが一緒に住んでいた。
お父さんやお母さんがいない子どもたちなんだよ、という事は聞いていたが、小さかった私はあまり深く考えず、言葉もほとんど分からない中、すぐに仲良くなった。
朝、日の出とともに外に出て、みんなで輪になってお祈りをした。
昼間は家の前にある、茶色くにごった池に飛び込んで泳いだ。
日本から材料をもってきて、お好み焼きを作って日本料理を振る舞った。
あとは鬼ごっこをしたりかくれんぼをしたり、トランプで遊んだり、言葉も分からないタイ語のビデオをみたり、一緒にご飯を作ったり。
記憶が曖昧で、断片的にしか覚えてないのが悔しいけれど。
長かった私の髪が珍しかったのか、髪を切られそうになったり、、(なぜだかこれは強烈に覚えている。笑 )
でも、いま振り返ってもすごく楽しかったし仲良くなれたなという思い出でいっぱい。
当時の写真を見ると、私も現地の子と同じように黒くなって、裸足で遊んでいた。
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その中で、一番仲良くなった女の子がいた。私よりもたぶん2~3歳年上の女の子。
最後はお姉ちゃんのように慕っていたし、彼女も私を妹のように思い接してくれていたと思う。
お別れの時、彼女と撮ったツーショット写真は今でも手帳に挟んで毎日持ち歩いている。
(彼女が着ている服は私が持ってきていた服。最後にプレゼント。とっても良く似合ってた)
それなのに何故だろう、、すごく仲良くなったのに、名前がずっと出てこない。忘れてしまった。思い出そうとしても思い出せない名前。
名前を忘れてしまったあの子、だけど
ずっと忘れられない、私にとって大事な人。
また出会えるかわからないけど、
元気でいてくれたらいいな。
どうか、元気でいてね。
写真を見るたびに想う。
そして、その瞬間だけはふっと現実を忘れられて心が安らぐ。
私も、ここで今を頑張って生きようと思える。
ここでの経験が、たとえ言葉は分からない外国の人でも、仲良くなれるし友達になれる、伝えあえる、繋がりあえるということを実感できた。大事な思い出になった。
これからもこんな出会いをしていきたいな、していけたらいいな、と強く思う。
世界中に、こんな風に大切な人が増えていったら、
世界で起こっている出来事が自分ごとになってくる。
平和に近づく一歩になるんじゃないかと、本気で信じてる。
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