『美味しい記憶』-いんげんのごま和え-
京都で美味しい焼き鳥を食べた。
その店では「おかんの一品」という名で毎日日替わりでアテや小鉢を出しているらしかった。
私が行った日は「いんげんのごま和え」だった。
子どもの頃、食卓に出てきたら、避けるわけでもなく喜ぶわけでもなく、盛られた分だけ食べていた。
そういえば最近、めっきり我が家の食卓では見かけていない。
味わってありがたがっていんげんのごま和えを食べたことがあっただろうか。
ちゃんといんげんのごま和えに向き合いたい…。いんげんのごま和えを嗜むなんて、なんか「通」で大人っぽい。
そう思って「おかんの一品ください」と注文していた。
しゃくしゃくとした食感。
いや、しゃくしゃくだけでなく、きゅっきゅっとした歯触りもいい。
艶やかなみどり。ごまの香り。
ゆで加減が丁寧に管理されたいんげんのごま和えは美味しかった。
半年ほど前に転職し、怒涛の繁忙期を少しすぎ、職場にも慣れた。
ただなんとなく最近、心がクサクサしてる感じがしていた。
忙しすぎると人は心に余裕がなくなるものだと言い聞かせながらも、クサクサした心を持て余していた。
そんな折に母が数日、家を空けることになり、冷蔵庫の中を消費せねばと野菜室を漁っていたら、いんげんと再会した。
最近の自分のやり方だといんげんを主菜に盛り込み、一品で完結する発想が優先された。
ただその日は「おかんの一品」がよぎった。
美味しかったな、いんげんのごま和え。
正しく茹でられたいんげんの歯触り。
いんげん、君をごま和えにしてあげよう、と寛大な気持ちで野菜室から救出し、湯を沸かしている間にすり鉢を出した。
最近、すり鉢なんてわざわざ使ってなかったなぁ、と年季の入ったすり鉢を片手でひょいと持ち上げた。
あれ、こんなに軽かったっけか。
子どもの頃、よく手伝いですり鉢でごまをすっていた。
地味だし、なんだか疲れるし、すり鉢を抑えながら、ギョリギョリしてもごまがあっちこっちに飛び散ってそんなに好きな手伝いではなかった。
すり鉢に白ごまを入れてギョリギョリとごまを潰す。
昔はもっと時間がかかっていた気がする作業もほんの一瞬だった。
いつまでギョリギョリしなきゃいけないんだろう、と加減が分からず母に「もういい?もういい?」と聞いては「あとちょっと」と言われていた。
今なら自分でやめ時も決められる。半分くらい粒が残るくらいってこんなもんだろ、と。
背の高いキッチンで、覗き込むように抱えるようにすり鉢に向き合っていた自分を思い出す。あんまり楽しくないなぁと思いながら手伝いをしていたこと、でも、ごまに砂糖と醤油を混ぜたタイミングで味見ができることは好きだったこと。
私も確かに子どもだったんだなぁと不思議な気持ちになった途端、祖父や祖母に猛烈に会いたくなった。
祖父も今年の春に長い闘病の末、息を引き取った。やっと見舞いに行けて、顔を見た数日後のことだった。
料理上手だった祖母は祖父より数年早く亡くなった。
祖父母に会いたいと思う時、寂しさと同時に祖父母を近くに感じる。
しみじみと亡くなった家族のことを思い出す暇がなかったことに気づき、改めて自分がワタワタとここ半年生きていたことを感じる。
沸いた湯にティースプーン一杯ほどの塩を入れ、いんげんを入れる。
氷水作るの面倒だし流水でいいかな、と思った時、「きゅっきゅっ」とした歯触りと「めんどくさいってゆってたらなぁんもできひんよ。」という祖母の言葉がよぎった。
いそいそと冷凍から氷を取り出して氷水をつくる。
美味しいいんげんのごま和えは茹で加減こそ肝だと「おかん」が教えてくれた。
最近は2-3分と時間を計ったら、タイマーがなるまで放置していたが、祖母ならきっとタイマーがなる前、数十秒前に茹ですぎてないかきっと味見をするだろう。
祖母に習って味見をして正解だった。あと30秒長ければきっと「きゅっきゅっ」にならなかった。
氷水でしっかり締めたいんげんの水気をこれまた丁寧にキッチンペーパーで拭いとる。
すり鉢の中でしっかりと和えて、食べる分だけ小皿に盛る。
盛り付ける時、母がいつも「美味しそうに盛ってね。高さをつけてね。」と教えてくれた。
子どもの頃は口に入れば一緒なのになと思っていたが大人になってから分かる。
盛り付けは相手への、食べる人への心配りだと。
その日は祖母と母と子どもの頃の自分と料理をしている心地だった。
「いんげんのごま和え」が繋いでくれた記憶と感覚。
丁寧に、きちんと作った「いんげんのごま和え」はやっぱり美味しかった。
きゅっきゅっとした歯触りで夏を嬉しく思った。「おかん」のごま和えより薄味で、我が家の薄味文化を祖母と母からしっかり引き継いでいることを感じた。
心がクサクサしてきたらまたいんげんと丁寧に向き合おう。